d94n2s blog

自作小説の公開、管理を目的としたブログ。変な小説を読みたい人は寄っといで。

「頭は帽子のためにある」奇想小説。

私は最初、一次元の存在に過ぎませんでした。

 体はただ線のように細く長く伸びているだけで、幅も厚みもまったくありません。周りの世界がどういうものなのかも分からず、ただ自分が存在していると気がついて、漠然とした不安のようなものを覚えるばかりだったのです。                           

「私」と申しましたが、「私たち」と言った方が妥当かも知れません。というのも、私は生まれると間もなく大勢の仲間と一緒にされて平行に並べられ、さらに大勢の仲間たちと十字型に合体させられてしまったからです。一緒にいた仲間は数千、いえ、万の単位はいましたでしょうか。

 私たちは工場のような場所で、ガシャンガシャンと上下する櫛目のついた鉄板状の機械によって組み合わされて行きました。いったいどういう仕組みだったのか、今考えても不思議ですが、鉄板機械の下を通った後の私たちの体は二次元になっていたのです。

 とは言っても、最初はそのことに戸惑うばかりで自分が高度な存在になったのだとは気づきませんでした。

周囲でひしめく仲間たちも思いは同じだったようで、あちこちから困惑する声が聞こえてきました。

「どうしてこんなことになってしまったんだろう」

「こんなにぎっちりと隙間なく組み合わされてしまったら窮屈でしょうがない」

「まったくだ。これじゃあ身動できないじゃないか」

 しかし、その思いは間もなく消えて行きました。一時の混乱から脱してみると、この状態は大変安定していて心地よいものだと分かってきたからです。これまでの一本の線に過ぎない状態が、いかに不安定だったのかに気づかされたと言ってもいいでしょう。

 ほんの僅かづつ先へと進むにしたがって、組み合わされて平面になった面積が広がってゆくと、私は体から力が湧いてくるような気がしてきました。

自分の体が広がって行く充実感を感じたのです。最初に戸惑いを感じたのは、単に平面化した面積が小さかったからこの感覚を感じ取れなかったに過ぎないのだと、だんだんに分かってきました。

周りを見ても、組み合わされた仲間たちは、同じ感覚を感じ始めているようでした。しばらくすると不安を口にする者はなくなり、前向きな言葉が飛び交い始めたのです。

「よく考えると、この状態も悪くないものだな」

「そうね。もう私は一人じゃないんだわ」

「広がった。自分は仲間と一緒になって広がって行っているんだ」

「ああ新しい体で世界を感じる。世界は一本線の周囲だけじゃなかった。もっと広がりを持っていたんだ」

 そんな感激した声が、あちこちから聞こえてくるようになったのです。そしてそれは、一本の線に過ぎなかった自分が、他の多くの仲間と同化して、共同の自意識を形作り始めている兆候でもあったでしょう。私たちはしばらくすると二次元化した自分を「私たち」とは思わなくなり、一つの「私」として認識するようになって行ったのです。

しょせんは一本の線が持つ自意識などは、孤独に耐えられないちっぽけな存在だったのかもしれません。だからこそ平面化した私たちの心はすぐに一つにまとまって、神経シナプスが結合するようにして一つの人格を形作って行けたのです。私は線である一人の私から、平面である一人の私になりました。

そして私はコンベアーの上に乗せられて進み、もう一つの鉄板状機械が設置してある場所へと近づいて行きました。私はそこへ行くのが待ち遠しかったのです。少し前に経験した線から平面へと変わる体験が素晴らしかったので、今度もあの鉄板によって自分をより高度な存在に変えてもらえるのではないか。ひょっとしたら平面を乗り越えて、立体の存在へと昇格させてもらえるのではないか。と、そんな期待を抱いたのです。

しかし、いざその下を通りますと、どうしたことか鉄板はいっこうに動こうとしません。前の鉄板は私の体がその場に差し掛かるとたちまち激しく仕事を始めたというのに、今回のそれは私の体が数十センチ通り過ぎても一メートル通り過ぎても微動だにしないのです。

私はがっかりし、そして自分の先端部に、奇妙な力が作用しているのに気づきました。平面だった床がある地点から急激に反り返り、私は先端部から引っ張られ、小さな円を描いて一本の棒に巻き取られつつあったのです。私の体は何重にも折り重なって、極限まで縮こまった一本のロールになって行きました。せっかく平面の体になって世界が感じられたのに、すぐにこんなに窮屈な状態にされてしまうとは、まったく納得のいかないことでした。

私は思わず「やめてくれえー」と叫びました。しかしその声はあまりにも小さく、虚しく宙に吸い込まれるばかりだったのです。

巻き取る機械の力はさほど強いものではなかったかもしれません。ですが私には、抵抗する力はありませんでした。私の体は、空気と触れ合うことすらままならない状態に巻かれて行ったのです。

そして、私がそんな姿になり果てたのを見計らったように、第二の鉄板はついに動きました。私の体の、まだロールに巻かれていない部分へと落ちてきたのです。

ザクッ。そんな音が聞こえると同時に痛みが走りました。そして私はその地点から後ろの感覚が無くなってしまったのです。

恐ろしいことに第二の鉄版は、先端に刃のついたギロチンでした。それが落ちたことにより、私の体は一刀両断に切断されてしまったのです。

そして私は一本のロールとなりました。ミミズの体の先が切断されても短くなった先っぽだけで生きてゆけるように、後方の自分の体と切り離されても私が存在するのに支障はありません。私のような存在は、大きくなったら大きくなったように、小さくなったら小さくなったように、その時々の自分の形に順応してゆく他はないのです。

・・・・・・もうお分かりでしょうが、私はこうやって一反のロールに巻かれた布地となったのです。そしてその後はトラックに乗せられて、卸問屋へと運ばれて行きました。

 

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卸問屋での私の生活を言う前に、まず布地になった私が人間というものをどう思ったかについて話した方がいいかもしれません。

工場の中で働く人間たちを初めて見た時、私は彼らは工場にある機械の下僕なのだと思いました。工場の中ではどう見ても機械の方が堂々として力強く動いており、人間はその周囲でセカセカ動き回って召使いのように機械の世話をしているようにしか見えなかったからです。私たちを運んだりする時も何となく遠慮がちで傷つけまいとするようすがうかがえましたので、あるいは私たちよりも下の存在なのではないか、などと不遜にも思ったりしていたのです。

彼らは自分の力で動くことができる立体の存在ではありましたが、きっと立体の世界の中では最下層に属するのだろう。私たちが立体に昇格した後には、私たちも工場内の大型機械と同じように堂々と彼らを召使いにできるのだろう、などと考えていたのです。

しかしその考えを鼻で嗤った者がおりました。他ならぬ、人間たちが着ている作業着です。私が人間の手に抱えられてトラックに運び込まれる時のことでした。

「おい、新参者。人間から大事に運んでもらって殿様扱いされているとでも思っているか。最初だけだぜ。お前たちはこれから運ばれた先で細かく切り刻まれて縫い合わされるんだ。この俺のようにな。その後は人間の体を保護する防具として擦り切れるまでこき使われるんだ」

 そう言われた時は大変驚きました。というのも、汚れて皺だらけの彼の外見はみすぼらしくて、とても私たちの仲間だとは思えなかったからです。てっきり人間の体の一部なのだろうと思っていたら「お前と同じ仲間だ」と言うのですから。とても混乱させられました。しかし、彼の材質は私と同じであるように思えるのです。

 私はそれは本当なのかと訊き返そうとしました。ですが、作業着を着た人間は私を置くとすぐにその場を離れてボックス型の荷台の扉を閉めてしまったので、そのチャンスは失われてしまったのです。

 私は暗闇の中に取り残されました。とは言っても、そばには大勢の布地の仲間がおりましたので、そう寂しくはなかったのですが。

 トラックが走り出し、大きな振動がしだすと、私は不安になって周囲にいた仲間たちに訊いてみました。

「ついさっき、人間が着ている作業着から私たちはこれから運ばれる先で切り刻まれて縫い合わされると教えられたんですけど。本当ですかね」

「嘘に決まってる」

 すぐに奥の方から威勢のいい声が飛びましたが、それに賛同する声は続きませんでした。私のすぐ近くで作業着の声を耳にしていた仲間は言います。

「しかし、人間に着られていたあいつは確かに切られて縫い合わされたような姿をしていた」

 あたりはシンとなりました。

これからの自分たちの扱われ方を不安に思っているのはみんな同じだったようです。

その後は、いろいろな意見が飛び交い始めます。

「そうですね。ひょっとしたらあいつの言っていたことは本当なのかもしれない」

「嫌だなあ。切られたり縫われたりするなんて」

「俺は別に切られてもいいよ。どうせ一度は切られた身だ。そうやって立体にしてもらえるのならそれでいい」

「立体の体に、なりたいものですね」

「ええ、本当に」

「立体になれなかったら生まれてきた価値がないよ」

 私たちの望みは、立体になることでした。縮こまりきったロールの身を再び開き、平面をよりのびのびとして実体のある立体へと進化させる。ただ物質としての本能に従って、そのことのみを希求していたと言ってもよいでしょう。

その時にはまだ知らなかったのです。私たちは永久に本当の意味での立体にはなれないのだということを。仮りに切られて縫い合わされて服になったとしても、人間に着てもらわない限りは平面の域を脱することはできない。そして人間に着てもらった時にさえ、かりそめの立体になったに過ぎない儚い存在だとは、どうして想像できたでしょう。

 それでも私たちは自分の立体化を夢見ないではおれないのです。

それがどれだけ業が深いことであるのかは、これからの私の人生ならぬ布生で、この身を焼き尽くさんばかりに思い知らされることになるのですが、生まれたばかりの私には、そこまで想像することはできませんでした。

 私は卸問屋に運ばれて、いったんは在庫置き場に安置されたのです。

 

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卸問屋の在庫置き場は、居心地のいい場所でした。さすが私たちを保管するために作られただけあって、温度も湿度も快適です。私はそこで、布にはさまざまな色や模様をしたものがあるのだと知りました。赤や黄や緑や、チェックや水玉、花柄まで。

工場で作られた私たちは無地の黒色でしたし、工員が着ていた作業着は地味な青一色。布というのは皆そのようなものだと思っていましたので、新鮮な驚きでした。そして、無地の黒にしか過ぎない自分はいかにも野暮ったい田舎者のようで、気恥ずかしくも思えたのです。

しかしすぐ隣りに置いてあった花柄の先輩布地は、そんな私を慰めてくれました。

「でもあなたは布地としては質がいいわよ。きっと上等な服に仕立ててもらえるんじゃないかしら」

 どうやら私たち布地というものは服にしてもらう他には利用価値が無いものだと、私はここに来てすぐに知りました。在庫置き場には人間が時々やって来るので、その人たちの着ている服から情報をもらえたのです。そして、それはそう悪いものではないと、同時に知らされもしたのです。

 作業着は仕事をするために作られた服なので、使い捨て的な扱いをされて大事にされない。でも、ちゃんと上等に仕立てられた服なら大事にしてもらえる。そして人間から大事に着てもらうのは、布としては本望なのだと理解したのです。

 私は花柄の布地に訊き返しました。じゃあ私はどんな服にしてもらえるかなと。すると思いもかけない答えが返ってきたのです。

「そうねえ。喪服とかかしら」

 喪服というのは人が死んだ時に着る服で、数年に一度しか着られないのだと言うではありませんか。

 私は、花柄の布地は親切なばかりではないと気づきました。その声には、わずかな嘲りが含まれていたのです。

そばにいた赤い布地や黄色の布地もそれに調子を合わせます。

「いいじゃあないの。喪服っていうのは高価で上等なのよ」

「そうよねえ。私なんか薄っぺらくて服にされても値がつきそうにないから羨ましいわ」

 華やかな布地たちは声を合わせ上品ぶってオホホと笑いました。

 花柄の布地は、この布地置き場の中ではエリートのような存在でした。花柄だというだけで、服を大事に扱って愛してくれる若い女性用の服にしてもらえるのは決まったようなものなのですから。だから周りにいる者は、花柄に憧れて迎合するような態度をとるのです。

私は苦い思いを噛みしめて、黙り込むしかありませんでした。

 私がその在庫置き場から他の場所に移される日は、思いの他早くやって来ました。

 小さな衣類製造会社が、私を買い上げてくれたのです。

 

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私が運び入れられたのは、木造一軒家の中でした。普通の住宅と大差ない作りの一階に仕事場があって、そこで働く職人はほんの数人に過ぎません。本当に小さな、家内工業的な衣類製造所なのでした。

私はすぐに机の上に広げられ、長さを計られて先の方から切り離されました。ですが今回は以前ほどの痛みは感じませんでした。というのも以前のように乱暴にザクッと切断されたわけではなく、切れ味の良いハサミで滑らかに切られて行ったからです。もちろん痛いは痛いのですが、どこかそこには甘美なような、丁寧に扱われることの満足感のようなものも、僅かに感じられたのです。愛情のこもった刑罰・・・・・・などと言ったらおかしいかもしれませんが、それに近い感覚がしたものです。どうやら私を加工しようとしている職人の腕はいいようでした。

これならば、確かに上質な喪服にはしてもらえるかもしれないと、半ば諦めながらも身をゆだねる気持ちにはなれたのです。

しかし、作業が進んでみると、どうも勝手が違っているようでした。

職人は私の上に型を使って円をいくつも描いて行きました。それに近い大きさのドーナツ型も描きます。そして私はその線に沿って綺麗に切り離され、その後はふんわりと形を整えられて、縫い合わされてゆくのでした。作業をする職人の手は節くれだっていましたが、動きは繊細で私の体に即したもので、身を委ねてゆくのは心地よいものだったのです。

喪服になるにしては、私はずいぶん小さく加工されたようでした。それに形もまったく違っています。

出来上がった私は丸っこく、隅々まできちんと整えられていました。毛並みのいい小動物のように柔らかい見た目をしているようでした。しかしその裏側には、ドーム型に凹んだ空間が、大きく口を開けていたのです。疑似的な立体形になった分、その空間は何やらスース―して空虚さが身に沁みるようでした。

私は作られたばかりにして、もうすでにその空間を満たす何物かを求めていたのです。そしてそれが何なのかを知る機会は、すぐにやって来ました。

職人は最後に私を、人間の頭の形をかたどった模型の上に乗せてくれたのです。それは商品の完成ぐあいを確かめるためのものだったでしょう。乗せられたのはほんの二、三秒で、すぐに外されて完成品の置き場に移されてしまったたのですが。

ああ、でもその時の、私の充足感ときたら・・・・・・。

何、この感じ? と驚き、声をあげそうになりました。ピッタリと、すべてが収まる所におさまって、内から満たされる感覚がしたのです。ジンと痺れるように電流が走り、体のすべてが息づいたような感覚がしたのです。私はこのために生まれてきたのだ。と直感したのです。

そう、私は帽子でした。ただ人間にか被っていただくことこそ、私が作られた目的のすべてだったのです。

私の元の布地からは、同じ形をした完成品の兄妹が、可能な限りたくさん造られました。

以前も申しましたように、私のような存在は切り離されたら切り離されたように、加工されたら加工されたように、それぞれが別個の存在として意識を持つのです。ですから私は、私とたくさんの兄妹たちとに分かれさせられたということになります。

私たちは出来上がると間もなく、あちこちの販売店に出荷されて行きました。

私は下町へと運ばれて、老舗専門店の売り場に陳列されたのです。

 

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店内は狭く、帽子の仲間で溢れかえっていました。棚にもたくさん重ねて置いてありますし、壁一面にあるフックにも、私の仲間がかけられています。まるで無数の花が咲き誇るかのようだと言ったら美化し過ぎかもしれませんが、色とりどりの珍奇な茸の傘が大繁殖しているといったほどの壮観ではあったのです。

私は比較的高い位置の壁のフックにかけて陳列されましたので、店内をよく見回すことができました。

さまざまの仲間が、さまざまな思いを抱えて陳列されているのを眺められたのです。

やはり多いのは、期待に胸を膨らませた若い帽子たちです。私もその一人でしたが、人間が店内に入ってくるたびに「今度は私が買われるのかしら」とドキドキし、手で触れられたりした時にはビクンと身を震わせるほどに興奮したものです。しかし、その機会は簡単に訪れるものではなく、他の帽子が買い上げられると大きく落胆して「自分には魅力が無いのかしら」と悲観したりします。しかし、若いだけに立ち直りも早く、「次こそは」とすぐに気持ちを入れ直して、次の日には精一杯見栄え良く自分の体を膨らませようとします。良くも悪くも感情の起が激しくて、騒がしい存在だったと申せましょうか。

しかしそれも最初の半年か一年くらいのことで、陳列された時間が長くなってゆくとしだいに一喜一憂しなくなり、斜に構えた目で周囲を見るようになるようでした。

はたして自分には買われて人間に被ってもらえる時が来るのだろうかという不安。時が経てば経つほど品質は低下し、デザインは時代遅れになってゆくという焦り。それらが混然となって、複雑な心境になって行くようです。

そんな先輩は何かと騒がしい私たちに冷ややかな目を向け、時には嫌味を言ったり、叱りつけてきたりすることもあるのでした。

かと思うとこの店の中で充足してしまった仲間もおります。

幸運にも人間の頭をかたどった模型の上に乗せられて展示された帽子たちは、身を焦がすような「自分の中を満たしたい。被られたい」という思いを感じないですんだのです。疑似的とは言え、ずっと自分の中を満たす力強い立体を受け入れ続けているのですから。

その甘美さ、頼もしさにうっとりとして、「私はもう一生人間に買われなくてもいい。ここに居たってそれなりに幸せだから」などとつぶやく者もあったのです。

老舗の専門店らしく、やってくる客たちは身なりが立派で、お金持ちが多いようでした。それだけに、きっと買ってもらった後は粗末な扱いはされない。工場にいた作業着のように「擦り切れるまでこき使われるのさ」と吐き捨てるような結果にはならないと思われました。私は大きな夢を抱いて、自分を選んでくれる人が現れるのを待ち続けていました。

しかし、その時は中々やって来ません。

私が運命の人に出会ったのは、一年が過ぎ、そろそろ私も古株の帽子の仲間入りをしかけている頃でしたでしょうか。お客が店に入ってきても、もう私はいちいち気持ちを昂らせたりはしませんでした。

どうせいつもの冷やかしだろう。そう思い、午睡でもしようかと意識のスイッチを切り替えかけたその時でした。私は突然ひょいっと持ち上げられて、レジへと運ばれて行ったのです。品質を確かめようとして手に取って眺めたり、値札を確かめたりといった動作は一切無しに。

「今すぐ被りたいんだが、値札を外してくれるかね」

 心地よいバリトンの声が響いたかと思うと、私は店員の手に取られ、値札の紐を切られました。

 そして代金の支払いが終わると、指示をした人は私の体を優しく掴み、自分の頭の上に持って行ってくれたのです。

 ふわりと重力が無くなるように、まるで自分の体が一片の羽毛になったかのように思えた瞬間でした。

 私はついに人間の頭に被っていただけたのです。思いもかけず突然訪れた感動の瞬間でした。

 

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 私はそれまで一度も人間に被っていただいたことが無かったわけではありません。何度か冷やかしの客に頭に乗せられたことはありました。でもそれは私を選んでくれたわけではなく、私の感じた充足感は、偽物であったとも言えます。

 本当に私の価値を認めて求めてくださった方に被って頂くのは、格別の感動を伴うものでした。

 模型などではない本物の頭が、私をみっちりと満たしてくれています。それは何と絶妙な凸型でもって私の内部を刺激して、心地よい充足へと誘ってくれたことでしょう。

今になっては分かります。人間の頭をかたどった模型などは、所詮は質の悪い代用品に過ぎなかったのだと。模型は硬くて肌触りが悪く、形も機械的にこれが平均だと割り出して作ったものに過ぎません。平均ならばそれで良いというものではなく、そこには微妙な、神が宿るための細部の隙間のようなものが存在しないのです。僅かでも個性がある方が、より密着したという実感を高めてくれるのでした。

思えば帽子店の中で模型の頭に被せられて充足していた仲間は不幸でした。あれで満足して本物の人間の頭に被っていただく機会を逃してしまったら、自分が何のために生まれてきたのかが分からないでしょう。

お前は考え違いをしているぞ。と思われるでしょうか。ええ、それは分かっています。

帽子はあくまでも人間の頭に合うように作られたのであって、人間の頭があるからこその存在なのだ。だから、お前の凹型が人間の頭の凸型に合うのは当然なのだ。感動するようなことじゃない。

仰せの通り、まったく反論の余地はございません。ですが、それでも私は私と完全に合う凸型が存在し、私を満たしてくれることに、神の意思のようなものを感じないではいられないのです。この感動を完全に否定することは、私たちを創造してくれた高度な存在である人間にもできないのではないでしょうか。

そもそも人間が人生で感じる感動というものも、神によって用意された「生命を次の世代に残してゆく」という仕組みに適合した結果であることが多いのではないかという気がするからです。私たちのように凹にはそれに合う凸が用意されているというような単純なことではないのでしょうが、それに近い仕組みは、全能の神によって、人間に対しても用意されているのではないでしょうか。

生意気なことを申しました。私はこんなことを言えるほど立派な存在ではないですね・・・・・・。

ちっぽけな私は被っていただけた感激の後に、さらなる驚きを経験することになりました。

私を頭に乗せた人間は、店の外に出て町を散歩し始めたのです。

私が建物の外に出たのは一年ぶりで、以前出た時はいずれもトラックへ積み下ろしをされるだけの短い間だけでしたので、本格的に外に出るのは初めてです。

世界の広さと輝きを、初めて体験したと言ってもいいでしょう。

空は怖いほどに高く青く、さまざまな商店が軒を並べる道は、世界の果てまで続くように思えます。自分を囲っていたものが一度に全部無くなった解放感は、めまいを感じるほどのものでした。

私は爽やかな風を感じました。頭上からポカポカと暖かく太陽から照らされる心地よさも、始めて実感することができました。

 その日は晴れていて、気温は大分上昇していたようです。私を被ってくれた人間は、暑い日の日差しを避けるために私を買ってくれたのかもしれません。

歩調は非常にゆっくりで、散歩を楽しむ感じのものでした。

一歩足を前に出すたびに揺れが伝わり、私は微妙に振られます。その重力の変化によって、自分はしっかりと満たされているのだという実感がさらに増しました。

帽子が散歩する人間の頭上に居るのは、人間に例えれば高級ボートでクルージングをするようなものだと言えるかもしれません。

この時の散歩でよく覚えておりますのは、私を乗せた人間が突然足を止めて肉屋の店先からコロッケを一つ買って食べていたことでしょうか。香ばしい油の湯気が私の前まで立ち昇ってきて、こんな湯気を浴び続けたら体がベタベタになってしまうと、軽い当惑を覚えたのでした。

 

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私を買ってくれた人間がどういった人物だったのかについて、詳しく語った方がいいでしょう。

歳の頃は四十代半ばで、気難しい雰囲気の人でした。痩身で背は低く、顔立ちは鼻筋通って立派だったようです。男にしては髪を長く伸ばしておりましたが、それを変に感じさせないお洒落ができる人でした。どこか選民意識を感じさせるような、気障な物腰しもあったようです。

それも無理はなかったかもしれません。ある程度は「自分は特別な人間だ」というポーズを取っていた方が上手く行く仕事をしていたからです。

私を買ってくれた人は芸術家でした。新進気鋭の洋画家で、画壇での評価をメキメキと上げている最中だったのです。

そのせいか、体からはいつも油絵具の匂いがしました。私はそれを好みませんでしたが、それも好き好きというところかも知れません。

何故そう分かるかと申しますと、彼が所有していた私以外の帽子は皆、その絵具の匂いを好んでいたからです。

そう。彼のアトリエには、私以外にもたくさんの帽子が居りました。お洒落な上にゲン担ぎでもある彼は、その時々の気分によって私たち帽子をとっかえひっかえに被っていたのです。

中でも彼のお気に入りなのは赤の帽子でした。彼によれば赤い色は芸術家の魂に火を付ける導火線の役目を果たすのだそうで、気合を入れて仕事をしたい時には、赤をよく被るのでした。

次によく被られるのは緑の帽子です。静かにインスピレーションを発酵させたい時には、気持ちを鎮静化させる効果のある青系統の中で一番神秘的な緑がいいとのことで、緑の帽子を被って瞑想に耽るようなようすの彼もよく見かけました。

ブラウンの帽子を被るのはリラックスしたい時です。仕事を離れて頭を空っぽにしてお酒を飲んだりする時には、柔らかく自己主張のない色の帽子を被ったりもするのでした。

それでは私がどんな時に被られるのかと言いますと、それはカラフルな帽子を被るのにふさわしくない、堅苦しい場に限られるのでした。

ほんの年に二、三回しかお呼びがかからない。そんな状態が何年も続きました。こんな私は、彼の所有する他の帽子たちから、お局様と呼ばれたのです。

それは嘲りを含んだ皮肉だったのでしょう。私は彼の所有する帽子たちの中では、まだ若い部類だったのですから。色が地味なばっかりにこんな扱いになってしまうとは、何ともやりきれない思いがします。私は自分の持って生まれた色、黒を呪いました。

人間の間には、「醜いアヒルの子」という童話があると知ったのはこの頃です。黒くて醜いアヒルの子は成長すると純白の羽を持つ白鳥になりますが、私の身の上にそのような奇跡が訪れるとは思えません。

私を買ってくれた「彼」は、人間としての実生活でも罪作りな人であったようです。彼には無名の時から支えてくれた妻がいたのですが、それをないがしろにして若い愛人を何度も作っていたのです。奥様がそれを知って涙するようすを目にしたことも何度かありました。

しかし私以外のカラフルな帽子たちは、それに同情する気配を見せないのでした。

「魅力が無いんだもの、当然だわ」

「芸術家の感性について行ける人でないとね」

「天才のそばには創作上の苦悩を分かってあげられる人が必要なのよ」

 そんな言葉を次々口にします。

 他の帽子たちは、どうやら「彼」の芸術家としての華やかな面を愛していたようです。高尚でハイセンスな彼に被ってもらえば、自分も高尚でハイセンスな存在になれると考えていたのでしょうか。しかし、私が彼を愛したのは、そうした世間的な立派さではありませんでした。

 ええ、胸を張って、「愛した人だ」と申しましょう。何と言っても、私を牢獄のような陳列棚から救い出して、帽子としての本懐を、教えて下さった方なのですから。

 私が彼を愛したのは、少年のように純粋な一面を持っているところでした。画壇での評価が高まっても、彼にはどこか子供のような、あどけない部分が残っていたのです。それがあったからこそ新鮮な感性を持って絵が描けていたのかもしれません。

 私は最初に私を被っていただいた時の、彼の幸せそうなようすが忘れられませんでした。肉屋の店先に足を止めて熱々のコロッケを頬張った時は、「熱い」と言って小さな笑い声をあげ、子供に戻ったようにはしゃいだ様子だったものです。少年が新しい玩具を手に入れたように、買ったばかりの私を気に入って、誇らしく思って下さっているのも分かりました。

 このような純粋さがある限り、ずっと彼について行きたいと思っていたのですが、その面影は、年々少なくなって行くのでした。

 私が再び少年そのものといった純粋さを目にできたのは、彼に買われてアトリエの隅に置かれるようになった、七年ばかり後でしたでしょうか。

 

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彼はもうその頃には画壇の大物で、周囲の人に対してもそれらしい尊大な態度をとるようになっていました。画家志望の若者たちを取り巻きとし、仕事場に招いて、「芸術家としての心構え」的な高説をのたまうといったことがよくあったのです。そんな時、彼の瞳は優越感に満ち、上体は表彰台の上のオリンピック選手のように反り返っていました。

私にはその俗っぽさが嫌だったのですが、若者たちは有名画家に招かれたことに感激するばかりで疑問を感じないようでした。

私は少々拗ねた気分で、そのようすから目を背けたりしていたものです。

彼の頭にはいつもカラフルな色の帽子があり、「彼の栄光は私の栄光」とばかりに体を膨らませているので、それを見たくないという気持ちがあったからです。

何度も繰り返されたそんな一幕のある時、一人の青年が、帽子掛けにかけっぱなしになっていた私に目を留めました。

「先生、この帽子は埃を被っているようですが、もう被られないんですか」

 すると「彼」は妙なことを訊くものだといったふうに、不興そうにこちらを一瞥します。気持ちよく芸術論を語っていたのに中断させられて面白くないというようすがありました。

「うん。そう言えばもう二年以上被ってないかな。私は地味な帽子はあまり好きじゃあなくてね。公式の場用にと思って買ったんだが、公式の場ではそもそも帽子は被らない方が礼儀にかなっているのではないかという気もするので被らなくなってしまった」

「いい帽子なのにもったいないなあ」

 青年は指を咥える子供のように物欲しそうに私を見ました。どうやら人気画家である「彼」がいつも帽子を被っているのを見て憧れ、自分もあやかりたいと思っている風でした。

 その瞳は小さくて野暮ったく、分厚い眼鏡のレンズの奥にありました。でもそれを見た私はハッとしたのです。瞳の奥に純粋そのものの少年の輝きが垣間見えたような気がしたのでした。それは昔の「彼」が持っていたものとそっくりでしたが微妙に違ってもいて、より優しい深みをたたえているように思えました。

青年は、モグラのようにずんぐりした体型で、顔立ちも凡庸そのものでした。まったく冴えない外見だったのに、瞳だけがそんな風に見えたのは不思議なことだったかもしれません。

 思いもかけない「彼」の声が飛んできたのはそんな時でした。

「もし良かったら君にあげようか。帽子も大事にしてくれる人のところへ行った方が幸せだろうしね」

 私は耳を疑いました。いくら大事にされてはいなかったといっても、こうも軽々しく別れの言葉を口にされるとは思っていなかったのです。後輩に対して大物らしい態度をとりたかったのでしょうが、あまりにも薄情ではないでしょうか。私は「彼」から、まったく愛着を持たれていなかったのです。

 その一方で、青年はこの申し出を大喜びしていました。

「えっ、いいんですか? ありがとうございます」

 大げさにピョコリと頭を下げてから、このチャンスを逃してなるかとばかりに手を伸ばして私を鷲掴みにしたのです。

 あまりの不作法な率直さに私は驚きました。乱暴すぎて少し痛かった。

「彼」はそれを見て苦笑して、「被ってみたまえよ」と促しました。

 青年は頷いて、はにかみながら私を頭に乗せてくれたのです。

 その瞬間、痺れるような甘い戦慄が、体を駆け巡るような気がいたしました。

 ピタリと吸い付くような密着感が、これまでとはまったく違っていたからです。まるで電気掃除機で吸われたかと錯覚するほど強力に、私は青年の頭にへばりついていました。いえ、内側から押し拡げられたと言うべきでしょうか。

 青年の頭は大きくて、私の凹型を完全に塞いでも余りあるほどでした。そして髪の毛は至って短く、私と頭本体の間をほんの少ししか隔てていなかったのです。それどころか、直接地肌に触れてしまう場所すらありました。青年はおでこが非常に広く、生え際が後退気味でした。若くして禿げる兆候を見せていたということなのでしょう。それは人間としては冴えない特徴なのかもしれませんが、被っていただく身としては嬉しいことでした。直接主人の肌と体を合わせるのは、「こんなことがあってもいいのでしょうか」とうかがいたくなるほどに、生々しい体験であったのです。「彼」は額が狭く髪が豊富で長かったので、私は被っていただく時に直接肌に触れたことは無かったのです。

 青年は汗かきのようで、額はじんわりと湿っていました。その水分が直接私の体に沁みて適度な湿り気となって、さらに密着感は増しました。液体を含んだ私の体は僅かに収縮し、さらに強く青年の頭を、絞めつけるように咥え込んだのです。

 私は、前の持ち主である「彼」の頭に物足りなさを覚えていたわけではありません。小ぶりな頭を柔らかく包んだ長髪がふんわりと優しいクッションとなってくれ、上品な夢見心地に誘われたものです。まるで美しい初恋のようで、それはそれで大変に気持ちの良いものでした。しかし帽子としての本懐は、主人に対してきれいごと抜きにこの身をぶつけて体液を舐めるほどの体験をし、自分を捧げつくすことにあるのではないか。と、この時に初めて思えたのでした。

私は、この青年こそが私が一生を捧げるべき方なのではないかと直感したのです。

「彼」から捨てられて傷ついたばかりなのに、お前は何を言っているんだとお思いでしょうか。まったくその通りで、はしたない浮気っぽさは、弁護の言葉もございません。

 ことほとさように私の本性は業が深いもので、身も蓋も無い体感的なものであったのです。そのことを充分理解された上で、「下賤な帽子風情めが」と、お嗤い下さったらよいかと思います。

 ついでにもう一つだけ、恥ずかしいことを告白いたしましょう。

気がつくと私は思わず「はあんっ」と切ない声をあげてしまっていたのです。青年の優しい丸みを帯びた頭の上に乗っているのは、油断したら我を忘れるほどの気持ち良い充足感だったのです。

しかし周囲の者たちは、私が身悶えしているのに気づかぬようすでした。

私を手放した「彼」は、七五三の子供を見るようにして頷いていました。

「なかなか似合うじゃないか。それじゃあ大事にしてくれたまえ」

 私は完全に、青年に所有される身となったのです。

 

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 青年は得意満面で、私を頭に乗せたままで一人暮らしのアパートへ帰って行きました。

その道中、私はじっとりと自分の内側を青年の汗で濡らし続け、体だけでなく体臭までも一体化してゆくような興奮に捉われておりました。青年の体臭は若いだけにいやらしさは無く、むせかえるような生命力に溢れた純粋な雄の匂いがしたものです。それに、かすかに漂う絵具の匂いも私の嫌いな油絵具ではなく、安物のインクや水彩絵具のもののようでした。

 ですが、それらを余りくどくどと書き連ねても仕方無いような気がします。青年の身の上については、簡単に申しておきましょう。

 青年はまだ学生でした。しかし、通っているのは芸術科ではなくて、有名画家の家を訪れるほど好きな絵は、趣味で描いているだけなのでした。

青年の描いている絵を初めて見た時、私はいささか呆れました。専門画家である「彼」の絵を見慣れた後ではいかにも幼稚と言いますか、子供っぽくて、とても画壇で評価されるようなものとは思えなかったからです。

 青年には才能が無く、この絵が評価に達しなかったために芸術科に入れなかったのではないかと思えました。

 それなのに、絵に対する情熱だけは、誰にも負けないようすなのです。

青年は学校の勉強もろくすっぽせずに、毎日毎日暇さえあれば絵を描きました。人物と風景を中心に、手あたり次第という感じで、驚くような量を描くのです。質を量で補おうとしているのか、努力を重ねればいつか上達すると信じているのか、見ていて痛々しいまでに、必死さが伝わってくるのでした。

どうやら大学に通っているのは、学生でいる間は実家から生活費の援助を受けることができるので好きな絵を描く時間が捻出できる、といった理由に過ぎないように思えました。

青年は、それなりに自分の絵に自信を持ってはいたようです。

ある時などは気に入っている絵を百枚近くも抱え持って、批評家の元を訪れたこともありました。青年は目を輝かせながら拝むようにして作品を提出したのですが、それを見た批評家の答えはあまりにも残酷なものでした。

「君の作品は邪道だ。こういうものを描くのは君だにしてもらいたいものだね」

 冷ややかに、見るだけでも汚らわしいとでも言うように、最初の数枚を一瞥しただけで残りのすべてを突き返してきたのです。

 青年はさすがにその時は落ち込んで、帰ったアパートの部屋では持ち帰った絵を全部床にぶちまけて、悔し涙の叫びをあげておりました。

 しかし次の日にはその作品をすべて丁重に拾い上げ、綺麗に揃えて引き出しにしまったのです。

 そしてまた、飽きもせず、寝食を削って絵を描きまくる生活に戻るのでした。

 自分の描いた作品には、限りない愛着を持っている人でした。質実を持って良しとし、物は何でも大切にしていました。

 この私も大切に扱っていただいたものです。

私は自分の黒さを地味で不吉なものと思っていたのですが、青年はかえってそれを好んでくださったようです。容易には他に迎合しない落ち着いた個性の象徴として、創作家が身に着けるのにふさわしい色だと考えていたように思われます

 青年は一流芸術家にあやかりたいのか、絵を描く時にはよく私を被っておりました。仕事を始める前に鏡でその自分の姿を確認し、「僕は一人前の芸術家だぞ」と暗示をかける時もよくあったのです。

 しかし、その彼が向かうのはキャンバスではなく、薄っぺらい紙でした。練習も兼ねてとてもたくさんの絵を描くので、貧乏な彼には高い画材を用意するような余裕はなかったのでしょう。「貧乏な画家がデッサンを拭き取るために使ったパンを食べた」などという苦労話を聞くことがありますが、その画家はパンを使ってデッサンを拭き取るようなキャンバスに向かって絵を描けていたことを感謝するべきではないかと思います。

私の所有者の青年は、キャンバスに向かえないことを気にする素振りはありませんでした。それどころか安い紙ならたくさん描けるという事実を喜んでいた風で、机の上に置いた紙一枚に、自分を全力でぶつけ続けていたのです。その情熱は、怖い気がするほどでした。

 集中の余り、汗をよくかきました。アパートにはエアコンなどというものは無かったので、夏の日などには私の中がぬるぬるになるほどに生暖かい汗をかいたものです。その上、脂性でもあって、団子っ鼻の天辺はいつも脂でテカテカさせていたくらいなので、当然汗も皮脂のぬめりを帯びるのでした。

気持ちが悪いとお思いでしょうか。

 ああ、しかし、そのぬめった液が、何と絶妙に私を青年の頭に密着させてくれましたことか。私はまるで自分がタコの吸盤になったように感じました。とろみのついた液は潤滑油の役目を果たし、空気の入る隙間もない完璧な密着を、凸型との完全なる一体化を実現させてくれたのです。私の体は主人の体液によって蒸されて揉み解されてふやふやになり、腰砕け的に頭の凸にピッタリと合った形へと変容させられて行きました。自分自身の形というアイデンテティを失い、逞しい凸の頭の型に征服されて行ったと言ってもよいでしょう。

 しかし、私はそれが、とても嬉しく感じられたのです。

 私は完全に主人と同じ形になり、支配され、主人専門のものになってゆく。何やらその考えは魅惑的で、まるで肌を切り開かれて内臓を眺められるような、マゾヒスティックな快感を伴うのでした。

 私は新しい主人である青年を、愛しはじめていたのかも知れません。

 そして・・・・・・。ああ、これは秘密にしておこうと思っていたのですけれど、思い切って告白してしまいましょう。

 私は主人から、身が蕩けるような肉体的な快感も同時に与えられていたのです。

 青年は何かを考えた時などに、頭を撫でる癖がありました。物思いに耽る時には軽く触れるくらいですが、集中して考える時にはゴシゴシと、モップで床を擦るように力を込めるのです。

 絵を描く時にもその癖は出ました。

 この絵のタッチはどうするべきかとか、塗る色の選択をどうするべきかとか、そういったことに迷う時、青年は頭に手をやって私の体を軽く擦りました。そうすると、私はさらにピタリと頭に押し付けられて、水平方向に微妙に位置をずらされるのです。ただ密着しているだけでも快感ですのに・・・・・・。

 擦りながら横に優しく動かされるのは、自分の身が熱くなって、快楽のエネルギーを身内に溜められて行くような感覚でした。じんわりと爛れる如くに体が柔らかくなって心地良い甘い痺れが走り、天に昇る浮遊の境地を彷徨わされる感じなのでした。

ですが、それで解放された快楽のエネルギーは半分ほどに過ぎないのです。

・・・・・・ああ、そんなに優しくしないで。

 そう言いたいほどにもどかしい、自分を何とかしてほしい。そのような欲求が頂点に達した時に,急に乱暴に、・・・・・・私の実感としましては、狂暴とも言えるほど激しく指を立てられて、ゴリゴリと思うさまに掻きむしられます。

 青年はいい絵のイメージが浮かばなくて苦しんで、必死で頭を絞っているのでしょう。

 ふだんなら痛みを感じるところかもしれませんが、柔らかく揉みほぐされて受け入れ態勢の整っている私は、その荒々しさのすべてを受け入れることができたのです。

 私の肌は主人の頭に強く押し付けられることで深く一体化し、どこからどこまでが自分の体なのか分からなくなるような気がいたしました。溜まりにたまった快楽の蜜が、水風船が割られるように突き破られて一気に溢れ出すようです。私は溺れきり、疑似的な死に誘われてゆくかのようでした。強く擦られるのがあまりに気持ち良く、小さな体ではそれを受け止めきれないようで、快楽に合わせて自分の体が部屋いっぱいに広がって行くようにも、どろどろに溶けて形が無くなって行くようにも感じられました。あまりの気持ち良さに目が眩み、意識が真っ白にショートしそうだったのです。

 ああ、もう死んでもいい! ご主人様、もっと私を無茶苦茶にして。

 などと、我を忘れて叫んだりしていたものです。

 

 そういうことは何度となくございました。当然私の体は発酵した汗の成分で臭くなります。

 主人はそんな私を、時々風呂場で優しく洗ってくださり、窓辺に干してもくださったのです。それは何とも清々しく、ほっこりと安心もする、愛情を感じられるひと時でした。

 思えば私は、以前所有してくれていた「彼」から洗っていただいたことはほとんどありませんでした。せいぜいが数年に一度。それも業者に任せておしまいといったもので、冷たい扱いのようにも感じられていたのです。

 新しい主人となった青年と過ごした最初の一、二年は、本当に幸せな時期でした。

 私の人生ならぬ帽子生の中でも最も重要な、宝物のような時間だったと申しても良いでしょう。

 

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 そのうちに、青年の身の上に変化が起こりました。描き貯めていた絵が出版社の人の目に留まり、子供向け雑誌に載せてもらえるようになっていったのです。

 私は青年を、主人を見くびっていたのかもしれません。つい本格的な画家を見るような目で見てしまっていましたが、構図が単純で線が丸っこく子供っぽいところがある彼の絵は、見方を変えれば大変分かりやすく、子供には受け入れられやすいものだったのです。時代によく合った、ポップなものだったということなのでしょう。

 私は自分の不明を恥じました。そして教えられました。絵というのは何も芸術の高みを目指すためだけにあるものではない。多くの人に心地よく見てもらえて、僅かでも夢や安らぎを感じてもらえれば、それが一番大事なのではないでしょうか。

 主人の絵には確かにそれが、未来への希望を感じさせる優しい感性がありました。専門的な絵の技巧など、さしたる問題ではなかったのです。

 主人は子供たちに好まれて、子供向けの絵の描き手として瞬く間に売れっ子になって行ったのです。

 いつの間にか、助手の人を雇うほどにもなりました。

 それでも売れっ子を鼻にかけたような傲慢なところは一切無く、絵を描く姿勢は変わりませんでした。驚くような集中力で、暇さえあれば仕事に励むのです。もう評価は充分得ていましたので、絵の注文主から「素晴らしい作品ですね」と褒められることも、同業者から「そんなにシャカリキになって描かなくていいんじゃないか」と皮肉を言われることもありました。

 しかし主人はそれに耳を貸しません。

「いや、僕の作品なんてまだまだだ。僕はもっともっと描きたいテーマがたくさんあるんだ」

 そう言って、寝食を忘れて邁進し続けます。きっと本当に、芯から絵を描くのが好きたったのでしょう。

 いつしか主人の絵は子供雑誌だけではなく、テレビでも新聞でも街角のポスターでも、あらゆる場所で見られるようになりました。主人の後を追い、その作風を真似る新人が現れるほどの人気だったのです。

 誰からも評価されなかった頃の苦労を知っている私にとっても、それは涙が出るほど嬉しいものでした。立派になって行く主人の姿が、とても誇らしく感じられました。

 成功した主人が仕事をする時、頭上にいるのはいつも私。主人の頭を受け止めて完全に一体化できる帽子は私しかいない。

 そのように考え幸せを噛みしめて、鼻を高くしていたのです。

 愚かにも・・・・・・。

 

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売れっ子になった主人は、もちろん収入もそれに見合ったものになって行きました。贅沢をするような人ではありませんでしたが、それでも生活のレベルは自然に上がって行きます。

狭い安アパートからそれなりの広さの住居へと移り、食事をする時も、安食堂ばかりというようなことは無くなりました。そして服装も、それなりに仕立ての良いものを着るようになったのです。

それならば、いつまでも持っている帽子は一つだけ、などということはあり得ないでしょう。

主人が新しい帽子を買ってきた時に、ショックを受けた私の方が馬鹿だったのです。

それは私とそっくりな形と色をした帽子でした。以前の持ち主だった油絵画家の「彼」の時のように、私とまったく違うカラフルな帽子ではなかったのはせめてもの救いと言えるかもしれません。主人は私に愛着を持っていてくれたから、だからスペアとして同じような帽子を買い求めたのだ。と考えることはできます。しかし、同じような帽子が二つあったら、誰が古い方の帽子を多く被るでしょうか。スペア扱いになってしまうのは私の方なのです。

 新しい帽子は私よりも一段上の高級品で、全身から育ちの良さが滲み出ていました。

初対面では私のことを「お姉さん」と呼んで礼儀正しく挨拶してきました。私は黒くて見た目は男性的ですが、凹型として主人から開発され尽くしておりましたので、「お姉さん」と呼ぶべき存在になっていたのでしょう。

 私は自分の属性もまだ定かではないような幼いピカピカの帽子を前にして、何とも言えないやるせなさが風となって胸を吹き抜けるような気がいたしました。この子はまだ主人の頭に馴らされていないから、最初のうちは被り心地が良くないかも知れない。だからあと少しの間だけは私が愛用されるだろう。でも、それももう少しの間だけなのだわ・・・・・・。

 私が新しい帽子に対し、妬みを感じなかったと言ったら嘘になります。でもこの子には罪は無く、ましてや主人に悪いところなどあろうはずはありません。私は涙を飲んでこの新人に、主人に対する時の帽子としての心がけなどをアドバイスすることにしたのです。

 私が以前所有されていた、油絵画家の「彼」のところにいたカラフルな先輩帽子たちのような底意地の悪い存在にはなりたくありませんでしたし、それ以上に私は主人を愛していたのです。いかなる時にでも主人には心地よく帽子を被っていただきたく、そのためにはこの新人に私の知っているコツのようなものを伝授する他はないのでした。

 幸い、新しい帽子は素直な良い子でした。私の言うことをよく聞いて、忌憚なく主人に愛用されるようになって行ったのです。

 ですが、そのようすを見ている私の胸の懊悩は、砂を噛むようだった、などという言葉でも足りないと思います。

 何も知らない少年のようだった新しい帽子は、見る間に妹としか呼びようのない華やいだ存在へと変貌してゆきました。私の目から見ても、これなら私よりも魅力があると認めざるを得ないほどに。

 ご主人様は、本当に罪作りなお方です。

 

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主人が人間の女性とお付き合いを始め、結婚したのもこの頃でした。でも私はその奥様に嫉妬したことはございません。人間と帽子ではあまりに立場が違い過ぎ、比較の対象にはならなかったからです。奥様は夫の仕事を理解して協力を惜しまない立派な方で、幸せな家庭を築けたようすなのは、私にとっても喜ばしいことでした。

数年後には元気なお坊ちゃんも生まれ、主人はさらに公私共に充実して行きます。

私はそれを喜びながら、その一方ではいつの頃からか、寂しさを感じるようにもなって行きました。「もう主人は私にはそぐわないほど立派になってしまった」という思いが、しこりのように心にわだかまってしまうのです。元々私はさしたる高級品というわけではありませんし、傷みの出始めた中古品にもなってしまいました。どうして胸を張って「私はこの立派な主人の頭上にいるのがふさわしいのよ」と言えるでしょうか。

主人が無名の時代には、「この人の努力が報われますように」と毎日祈っていたというのに、それが現実のものになると不満を感じるとは、何と業の深いいじけた根性なのだろうと自分を嗤わずにはいられませんでした。

新しく主人の愛用になった帽子にはそんな思いは無いようで、主人がマスコミの方の取材に答えるような時にも胸を張って装飾品としての役目を立派に勤めているようでした。

無理もありません。彼女は私より一段上の高級品で、まだまだ全然新しいのですから。主人に劣らず立派に見えるのです。

私は彼女のスペアに徹することで自分を生かし、主人に尽くす他はないと、自分に言い聞かせるしかないのでした。

ごくたまに、新しく愛用品になった彼女が洗濯されている時に被って頂けるだけでも幸せではないか。世の中には全然被ってもらえない帽子だっている。これ以上を望むのは贅沢というものだ・・・・・・。寂しいけれども、それが自分の余生かもしれないと、達観の境地へ近づけるように努力していたのです。

誤解しないでいただきたいのですが、私と新しい帽子は仲が悪かったわけではありません。表面上はしごく仲が良く、彼女は私を優しい姉として、慕っていてくれていたと思います。

その証拠には、彼女からは親しく話しかけられて、さまざまな相談を持ちかけられる事がよくあるのでした。たいがいは他愛のない、「そのくらい自分で考えたらどうなの」と言いたくなるような内容ではありましたが。

彼女は彼女なりに、あえてつまらない事でも私に訊く事で。先輩としての私を立ててくれていたのかもしれません。

ところがある時に、驚くような生々しい相談を、彼女の口から聞く事になるのです。

それは、家内の者が寝静まった夜更けのことでした。私と彼女は、いつものように壁際にある帽子掛けに、並んで掛けられていました。主人はいくら帽子を愛用していると言っても、眠る時にまで被るという事はありません。

 柱時計の秒針の音だけが響く静寂の中、彼女はためらいがちに声を発しました。

「ねえ、お姉さん。起きてる?」

「眠っちゃいないわよ」

 私たち帽子の眠りはとても浅く、人間よりも短い時間ですむのです。その時も、静寂に意識を同調させて時間の流れに身を委ねているだけでした。物である私たちは元々静的な状態を好むので、長時間じっとしていても人間のように退屈を感じないのです。

「良かった。あのね、相談したい事があるんだけど・・・・・・」

 彼女の口調は真剣なものでした。しかし、そこに奇妙な恥じらいのようなものを感じて、私は耳をそばだてました。

「彼の事なんだけど」と彼女は申しました。「彼」というのはもちろん私たちを被ってくださる主人の事です。私はその言い方が、何だか馴れ馴れし過ぎるようで好きになれませんでしたが、「それじゃあどう呼べばいいの」と訊き返されたら答えられないので注意できないのです。

 ちゃんと帽子としての立場をわきまえて「ご主人様」と呼ぶのが正しいような気はしますが、「主人の事なんだけど」などと言われるのも何だか業腹な気がいたします。

 考えてみれば、私も若い頃には私の以前の所有者であった油絵画家を、心の中で「彼」と呼んでいたのでお互い様なのでした。

「どうしたの?」

「ちょっと聞いてみたかったんだけど。お姉さんはあたしが来る前は、彼からどのくらい激しく扱われていたのかしら。彼は仕事に熱中してくると、あたしたちに爪を立てて強く擦ってくることがあるわね。「お前の表面を削り取って芯まで可愛がってやるぞ」って言ってるみたいに。それはいいんだけど、最近その回数が、多すぎるような気がするの。力もどんどん強くなっていくみたいで。あたし、彼の激しい擦り方に耐えられなくて、最近は苦痛を感じる事があるのよ。お姉さんの時はどうだったのかな、なんて思ったりしたんだけど」

 ・・・・・・何という残酷な訊き方をするのでしょう。私はそのご主人様の愛撫に飢え、身を焦がす思いでいるのです。それなのに、「愛撫が激しすぎて困っちゃうわ」とは。優越的な立場を誇示して私を嘲笑おうというのでしょうか。私は若い帽子をキッと見返しました。しかし彼女のようすに邪気は無く、本当に困り果てて相談しているようすなのでした。心なし、その姿はやつれているようにも見えます。

 私は少々の皮肉を交えて答えてやりました。

「それは私だって主人から激しく扱われたことはたくさんあるわ。だけど、いくらそれが強くなったからと言って苦痛だなんて思ったことは無いわね。あなたがそう思えるんだとしたら、主人に対する愛情が足りないんじゃあないかしら。帽子は主人のすべてを受け入れて、擦り切れるほどに尽くしてこそ一人前というものよ」

「そう・・・・・・なのかしら」

 若い帽子は、私の言葉をそのままに受け止めて、自分を納得させようとしているようでした。少し無神経なところはありますが、根は素直ないい娘なのです。

「やっぱりあたしの修行が足りないのかな。ごめんなさい。変なことを訊いちゃって」

 私は、こんなことを相談してきたのは彼女の未熟さ故だと思っていました。先輩として心得違いを戒めてやって、良いことをしたと思っていたのです。

 ところがそうではなかったのです。勘違いしていたのは私の方でした。

 数日後、私はそれを知ることになります。

 

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若い帽子が洗濯されて、私は久しぶりにご主人様の頭の上に乗せられました。

何度経験しても素晴らしい安息感。完璧なる密着の度合いは、まるで懐かしい故郷に帰ってきたかのようです。

ご主人様は歳とともに若禿が進行して、以前よりも直接地肌に帽子を密着させる面積が増え、さらに魅力的な頭になられた気がします。てらてらと光を反射するようになった頭頂は、輝く宝玉のように尊く感じられました。

若い帽子が完全に乾くまでの一日か二日は、この魅惑的なつるんとした凸型を独占できると思うと、年甲斐もなく胸がときめく思いがしたものです。

ご主人様が仕事を始めると、いつ私のもとへ手が伸びてくるかとドキドキして待ちました。じんわりと体の内側に粘っこい液を分泌していくような気がしたほどです。私には液を分泌するような機能はありませんので、きっとご主人様が汗を発しておられたのでしょうが。

ご主人様が汗を発するのは仕事に熱中してきた証拠です。そして、しばらくすれば難しいところにさしかかり、出口を捜すようにして、私の方へと手を差し伸べてくださる・・・・・・。

ところがどうしたことでしょう。いつまで経ってもそのような気配は起らないのでした。ご主人様は絵を描くための用紙を前にして、ずっと腕組みをして考えておられたのです。手に取ったデッサン用の鉛筆は、ただ固く握りしめているばかりで動かさず、眉間に皺を寄せているのでした。

私は、その皺のあまりの深さに気づいてギョッとしました。今までに見たことも無い、苦悶を表したものだったからです。

頭に浮かべた汗は、苦しみのあまりの脂汗だったのです。主人は、描くべき絵のイメージが浮かばなくて苦しんでいたのでした。いえ、イメージ以前に、何を描くべきなのかすらも分からなくなってしまっているようでした。それなのに愛情のこもった汗だと勘違いしていたなんて、主人のことを何て分かっていなかったのかと、自分の不明を恥じました。

そう言えば、最近の主人は暗い表情でいることが多かったと思い当りました。口数がぐっと少なくなり、奥様にもあまり笑顔を見せないようすだったのです。絵を注文してくる会社の人との打ち合わせが上手く行かずに苛立っているようすも見受けられした。創作上の重大なスランプに陥っておられるのだと直感しました。

どんな情熱的な創作家であろうと、創作活動が上手く行く時と行かない時の波はあるものです。ましてや絵などという繊細な感性が要求される分野では、創作が上手く行かずに思い悩む時期があって当たり前なのではないでしょうか。主人は人並み外れた情熱によって突き進んで来ただけに、これまではそんな苦しみを、ほとんど経験しなかったのでした。それだけに一旦迷路に入ってしまったら、どうしたらいいか分からずに、巨大な壁にぶち当たったかのように苦悩するしかなかったようです。

主人は少し、仕事をしすぎていたのかもしれません。手を広げ過ぎたのかもしれません。この頃には得意の子供向けの絵だけでなく、大人向けの絵も多く描くようになっていました。そして大人向けの絵は子供向けのようにおおらかな気持ちで描くわけにはいかず、苦みや暗さをも含んだより複雑なイメージやテーマ、アイデアのようなものを以前より多く必要としたのです。

大量の絵を描き続けてそれらの発想面も質を落とさずにやって行くのは、どだい無理のある話なのでした。

しかし自分に厳しい主人は、その理想を自分に課さないではいられないのです。ちょっとでも妥協するのが我慢ならず、自分を抜き差しならぬ地点へと追い込んでしまっていたのでした。

主人は唸り声をあげました。私を振り落とそうとするかのように、嫌々をするように頭を振りました。そのあげく、

「もう駄目だ。僕は才能が枯渇した。もう何も描けないんだ」

 突然そう叫び、鉛筆を投げ捨てて、机の上に突っ伏してしまいました。そして両手で頭を抱え、私をグシャグシャに掻きむしったのです。

 あまりの激しさに、私は悲鳴を上げました。人間だとすれば、

「ヒィッ」とか「キャー」とか、そんな発音に相当したでしょう。力いっぱい爪を立てられて体が裂けそうな危険を感じ、文字通りの「絹を裂くような悲鳴」をあげさせられたのです。私の体には血は流れていませんが、血を出す時の人間の気持ちが、実感できるほどに痛かった。

「もうやめて、お願い。壊れちゃう」

 私は主人に哀願しました。するとそれが通じましたのかどうか、主人は私から手を離し、手のひらで目を覆ったのでした。

 主人は、泣きべそをかいていたのです。まるで喧嘩に負けた子供のように。

いつもかけている眼鏡を外し、直接まぶたをゴシゴシ擦りました。その姿は幼児のようでした。どんなに偉くなっても、どこか可愛げが消えない人でした。トイレのスリッパの上にカリントウを置いて人が驚く様を見て大笑いするといったたぐいの子供っぽいところは、この人の生涯消えない特徴だったのです。だからこそ純粋に仕事に情熱を燃やすことができたのでしょうが、その純粋さが、この場合には仇となってしまっているようでした。

私は茫然としながら、若き日の主人の姿を思い出しておりました。

描き貯めた絵を批評家のところへ見せに行って、「君の作品は邪道だ」などと非情な言葉の鞭を受けた時のことです。

めったに涙を見せることのない、心の強い人でしたが、さすがにその時はアパートに帰ってから絵を床にぶちまけて泣いていました。でもすぐに、次の日には立ち上がり、以前にも増して創作に没頭する日々に戻ったのです。

「あの時を思い出して。あなたならできる。こんなスランプなんて乗り越えられるわ」

私は必死になって主人を励ましました。私たち帽子の声は小さすぎて、人間には聞こえないはずなのですが、それでもそうしないではいられなかったのです。

そうしたら、それが通じましたのでしょうか。いえ、それは思い上がりで、主人が元々持っている強さだったのでしょうが、主人はひとしきり涙を流すと、立ち上がって水洗場へ行って顔を洗いました。そして、自分の頬に平手打ちを食らわすと、また仕事に向かったのです。

そうは言ってもそう簡単にアイデアやイメージが浮かぶはずも無く、絵の草案を描いては消し、描いては消し、を果てしなく繰り返しておりました。食事もとらず、お腹が減ると好物のチョコレートを口に放り込んだだけで作業を続け、夜が来て、それが更けてさらに明け方に近づいてゆきます。主人はそれでも決してあきらめず、ぶっ倒れるまで何晩でも徹夜して作業を続けてみることで活路を見い出すつもりになっているようでした。

何という意思の強さでしょう。私は改めて、主人を尊敬する気持ちが湧いて来たのです。そして何とかして仕事をお助けしたい。その一心でありもしない頭を絞って一緒に絵のアイデアを考えようとしました。

主人はアイデアが浮かばないなりに、仕事に集中してきたようでした。そして長い混迷の後に、私の方へと、鉛筆を持っていない方の手が伸ばされてきたのです。

ゴシゴシと、いつもよりも乱暴な擦られ方でありました。正直言って、痛みを感じなかったと言ったら嘘になるでしょう。ですが今の主人の苦しみに比べれば、私のこの痛みなどはどれほどのものでしょう。「あなたの気持がほんのちょっとでも晴れるなら、私はどうなってもいいわ。いくらでも乱暴に扱ってちょうだい」私は芯からそう思い、主人の仕事にほんの僅かでも協力できる幸せを感じたのでした。

そして、私も一緒になって主人の描くべき絵のイメージを、必死に考えたりもしました。そして、主人の指の動きに精神を集中し、その動きにシンクロして意識を伝えられないかと思ったりもします。

そうしたら、ああ、これが私の罪深いところでしょうか。私はその激しい指の動きをも滑らかなものとして心地よく受け入れることができてしまったのです。したたかに力強い愛撫と感じられるようになっていったのです。

いったんその方行への回路が開くと、これまでにない快感の波が襲ってきました。激しい嵐の海に投げ出され、世界のすべてが快楽の閃光に焼き尽くされてゆくかのようでした。その頂点で私の意識は真っ白になり、そしてその中心で、扉が開いたのです。サーッと音をたてるようにして、閃光よりも眩い何かが流れ込んできました。

それは希望に満ちた、豊かな映像の放流でした。主人がこれから描くべき絵のイメージ。アイデア。それらが溢れんばかりにして、瞬時に見えてきたのです。

私はうわごとのようにその内容を叫んでいました。

「ああ、ご主人様。これから描く作品はこのようにしたらどうかしら。○○を××にして△△のように展開させるのよ。そして☆☆は□□に・・・・・・」

 次の瞬間、驚くような大きな声が響き渡りました。

「閃いたぞ」

 ご主人様がそう叫んで椅子の上で躍り上がったのです。

「○○は××にして△△の展開にすればいいんだ。そして☆☆は□□として処理すれば。これは素晴らしい作品になるぞ」

 そして猛然と、浮かんだアイデアを描き始めたのでした。

 

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 それは神様が与えてくれた一度きりの奇跡だったのでしょうか。

 いいえ、そうではありませんでした。それからも何度となく同じようなことは起ったのです。私は主人の頭の上で、巫女のようにこれから描くべき作品のイメージやアイデアを幻視して、それを口にすることができました。

 ですが、それを私の能力だとするのは、思い上がりもよいところでしょう。帽子である私には人間のような才能などあるはずはなく、私がたびたび目にするイメージは、他から与えられたものに過ぎないと思えるからです。

 おそらくは、私はただの受信機に過ぎないのでしょう。アイデアやイメージが醸成されるのはあくまでも主人の頭の中で、それが意識に浮かびにくくなっている時に、一番近くで頭に同調している私がそれを感知する。そういう仕組みなのではないかと思います。

 私は主人の持っている能力を効率よく発揮できるように補助しているだけ。ですが、それは時に大きな力となったでしょう。

その現象が現れたのは主人の心と深く一体化できた証でもあります。私は体だけでなく心まで主人を受け入れられた。主人のすべてと一体化できたという深い満足を得たのです。

 私はこの時に、帽子としての真の幸せを手にできたと申してもよいでしょう。

 それ以降、主人は再び私を愛用してくださるようになりました。当然でしょう。私を頭に乗せている限りは、絵のイメージやアイデアに詰まることはほとんど無いのですから。発想に詰まると主人は無意識のうちに私に手を伸ばし、優しく体を擦ってくれます。そうしてそれを次第に強めにしていくと、発想が浮かびやすいと経験で分かったようです。主人の私を愛撫する手の動きは日に日に愛情がこもり、巧みなものになって行くのでした。

 私は絶頂を迎えると、心になだれ込んでくる豊かなイメージを、必死で叫んで主人に伝えようとします。不思議なことに、主人の方でもその言葉をかすかに感知できるようすなのです。主人は私に愛情を持ち、意識を集中してくださっている。だからこそ伝わるのでしょう。

 この程度のうぬぼれは、持ってもバチは当たらないのではないでしょうか。 

 新しい帽子は、姥桜となった私が愛用され始めたのを、最初はいい傾向だと思っていたようです。自分一人にばかり声がかかるのでは先輩に申し訳ないし、最近は自分の扱われ方が乱暴なので、ちょうどいい休みが取れると。ところがその傾向が強くなり、はっきりと主役とスペアの立場が入れ替わってしまうと、私を恨めし気な目で見るようになります。

「お姉さんはいいわね。いつも彼から可愛がってもらえて」などと、皮肉を言われるようにもなったのです。

 私には、それはかえって心地よいものでした。

 その後、主人はファンの方から帽子をいただくことがあり、第三の帽子、第四の帽子を所有するに至ったのですが、もっとも愛用される帽子はずっと私であり続けたのです。

 

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さて、それから。長い歳月が過ぎました。

帽子は時が過ぎても古びるばかりで、さしたる変化はございませんが、主人の身の上にはさまざまなことがありました。

時代が変わり、主人の作風が古いと言われて仕事が減ったこともありました。主人が柄にもなく絵と映像の制作会社を設立して、それが倒産して借金を背負ったり、後進の売れっ子絵描きと意見が合わずに喧嘩になったり、といったこともありました。しかし、それらをすべて乗り越えて、努力を惜しまず第一線で仕事をし続けたのです。私もそれに、微力ながら協力してまいりました。

主人はいつしか押しも押されぬ第一人者としての地位を築いておりました。

しかし、主人の心には、一つ大きなひっかかりがあったようにも思われます。

自分の絵は、一度も芸術としての高い評価を受けたことがない。その一点だけが、若い時からの心残りだったのではないでしょうか。

主人は親しい人たちには、こう申しておりました。

「僕が描いている作品は芸術じゃない。後世には残りませんよ。時代の中を風のように通り過ぎて行く。それだけでいいんです」

 ですが、その言葉の奥には、どれだけの苦い思いが隠されていたでしょうか。常に一番そばにいて、仕事ぶりを見続けていた私には、それが痛いほど分かるのです。どうして一番努力して、一番人々を感動させた絵が、後世に残らないのか。権威主義の人々が持ち上げてくれない限り作品に永遠の命は与えられないのかと、私も主人と同様に、無念の思いを持っておりました。

 しかし、それも、今となっては遠い昔の物語りです。

広い意味で言えば、主人の願いはかなえられたと言ってもよいでしょう。主人が亡くなって半世紀近くがたった現在でも、主人の作品は多くの人に愛されて立派に輝きを放っているのですから。

 ええ。主人は亡くなりました。

 無理をして仕事を続けたのが祟ったのでしょうか。長生きとは言えない年齢で病いにおかされて人生を終えてしまいました。それはとても悲しく辛いことでしたが、最後まで創作活動に燃焼しつくして、やるべき仕事をやり抜いて天国に旅立ったのだと私は信じています。

 もう古びて擦り切れるようだった私は、遺品として遺族の方の手に渡ることになりました。もう私が人間の頭に被られることはないでしょう。

 でも、それでいいと思っているのです。理想的な主人と出会い、とても大事にしていただいたのですから。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。今はただ主人との思い出を大事にして、老後を静かに暮らしたいと願うばかりです。

ああ、でも私は幸せ者です。その忘れ去られるしかないはずの余生にさえ、豊かな交流が用意されていたのですから。

主人を慕い、その業績を忘れまいとする方々が、主人の死後に記念館を作って下さり、私はその陳列品の一つとして、ガラスケースの中に安置されることになったのです。

主人を慕う方々が毎日訪れて、主人を偲ぶ遺品である私に暖かい視線をそそいでくださいます。私はそのたびに主人の偉大さを実感し、主人の人生と、その彼に尽くした私の帽子人生は間違っていなかったと確認して、とても嬉しい気持ちになるのです。

私は今でも時々考えることがあります。主人の作品がこれほどまでに愛されている秘密は何だろうと。その結論はいつも同じで、主人の作品には豊かな夢や希望や愛、そしてそれを引き立ててくれる適度な苦みや刺激があったからだということになるのですが、それを強く訴えるために、絵にストーリーをつけ加えたことも大きな要因だったのではないかと思います。

主人の絵は描かれた人物が喋り、さまざまなドラマを演じる、画期的な新表現と言えるものでした。今ではそれが、漫画(MANGA)という言葉でもって世界でも知られて高い評価を得られるようになったのですから、天国にいる主人もきっと満足していることでしょう。

古ぼけた一片のベレー帽に過ぎない私にとっても、それは大変に嬉しいことでございます。