d94n2s blog

自作小説の公開、管理を目的としたブログ。変な小説を読みたい人は寄っといで。

「クープアムア」SF小説です。惑星探索もの。

 1

 

 魅力のない惑星だった。

 地形は凹凸に乏しく、どこまでも赤茶けた土と岩石が続くばかり。かつては海だったとおぼしき低地もあるが、とっくの昔に干上がって、細かい砂が溜まっているだけだ。

 大気は薄めで空には雲がほとんど無く、薄ぼけたような青灰色が広がっている。

その上、資源にも恵まれていない。

 低緯度から極地まで、何度も場所を変えて調査してみたが、採取するに足る物は発見できなかった。鉱物の種類が乏しくて、ある程度量があるのは鉄とニッケルくらい。それに何故か少量の石炭も見つかった。

数光年の距離をワープジャンプして来るほどの価値は無かったと言わざるを得ない。

この調子では、これから訪れる兄弟星もあまり期待できないのではないか。

「あーあ。来るのが五億年ばかり遅すぎましたかねえ」

先を行く黒木は足を止めて嘆息した。

大地に屈みこみ、惑星探索スーツの手袋で覆われた手で足元の土を掴み上げる。指を開くと、赤土がさらさらと砂のように落下してゆく。文字通り、一片の命も存在しない哀しき土だった。この星では一切の生物が見つかっていない。気温や大気は生物を育むのに充分なものであり、水も少量ながら存在している。にも関わらず、神に見放されたように死の世界が広がっていた。

「太古の植物が石化したらしき石炭はあった。大気の酸素含有量もかつては植物が光合成を行っていたことを示している。なのにどうして今は生物がいないのかなあ。細菌くらい残っていても良さそうなものなのに」

「そんなことを言ってもしかたないだろう。今回の探査の目的は生物の発見じゃあなくて鉱物資源なんだ。忘れないでくれ」

「そう言いますけどね、原さんだって本音では生物を見つけたいでしょう」

 黒木ぼやくのも無理はなかった。私たちの専門は、本来は宇宙生物の探索なのだから。

 八年前までは専門家が集結するチームを組んで、生物がいる星を専門に訪れていたものだ。

だが、トラブルがあって二人揃ってその任を解かれた今は、しがない鉱物探査宇宙船の乗組員に過ぎない。

宇宙の果てを旅するのに、乗員はたったの二人だけ。

航行も、星に着いてからの鉱物探索も、そのほとんどを人工知能が行うので、人間は大して必要ではないのだ。宇宙航行士の免許さえあれば、さしたる技術も必要無い。正直言って窓際の仕事だった。

ただ宇宙の孤独と恐怖に耐える精神があればよく、それは私たちは充分に持ち合わせている。

「それはそうだが、いつまでも夢を追っても仕方ない。鉱物探査で訪れた星で生物が偶然見つかる可能性なんて微々たるもんだ。かつては生物が存在したかもしれない痕跡を見つけられただけでも幸運だろう」

「その痕跡もハッキリしたものが無いから不満なんですけどね。せめてお土産にできる化石でも残ってないかなあ」

 黒木は立ち上がり、再び先に立って歩き始めた。

 私たちが向かっているのは古墳のような円錐形の丘だ。宇宙船で飛行中に見つけ、綺麗な形が印象的だったのでちょっと寄ってみようかということになった。斜面に空いている洞穴が、まるで墳墓の入り口のようにも見えるのである。

資源の探索はもう諦めて、この星を立ち去る前に少しだけ観光をしようと決めた。そして目についたのがこの場所だった。ほとんど行き当たりばったりに近く、目を瞑ってダーツを投げるのと大差ない。だが、それでいいのだろう。綿密なデータを集めたりしたら仕事と変わらなくて気晴らしにはなるまい。

 いざ麓から見上げると、丘は思ったより高さがあるようだった。頂上近くまで均等な円錐が続いている様は、人工的な手が加わっているように見えなくもない。傾斜はなだらかだが所々に大きな岩が散らばっていて、まるでてんこ盛りにしたアイスクリームの上に砕いたナッツをまぶしたかのようだ。

 黒木はゆっくりとその斜面を登って行った。所々にある一、二メートル級の岩を見て行く。そして丘の三合目あたりにある洞穴の入り口に到達した。中を覗いて首を傾げる。

「これは鍾乳洞の類いじゃあなさそうだな。穴内側の壁は結構ゴツゴツしている」

 私も後からその場に到着した。

「溶岩で温められた地下水とかが噴出した通り道なんじゃないか」

「どうでしょうね」

 黒木は探索スーツの手首にあるライト機能を使って穴の中を照らしていた。

 穴の入り口は縦長が二メートルくらいで、卵を立てたような形をしている。むろん尖った方が上だ。奥を覗くと、そのままの形を保ちながら、穴は下り斜面で長く続いていた。二十メートルくらい先からは傾斜がきつくなっているようで、先が見通せない。

 内壁は黒っぽく、原始的な掘削機で削ったようにざらついている。土質は、地表とは違って堅いようだ。

内部は完全に乾ききっており、ここから気体や液体が噴き出る様は想像しずらい。

「噴出口には見えないな」

「中へ入って調べてみますか」

 黒木は悪戯っぽく訊いてきた。

「私を殺す気じゃないだろうな。もし万が一何かが噴き出してきたらイチコロじゃないか」

「その場合は、ここに立っているだけでも危険ですけどね」

「空間スキャナーを使って見たらいい。持って来ているだろう」

「もちろんです」

 黒木は背負っている小型リュックからその機械を取り出して、三脚状の脚を伸ばして洞穴前の地面に固定した。本体は手の中にすっぽり収まるくらいの立方体。特殊なパルスで空間の広さや形状を計る装置だ。

 いざ測定してみると少し意外な結果が出た。穴は一度急角度に下方へ進んだ後に水平方向に広がって複雑に枝分かれし、鍾乳洞のような様相を呈している。全長は千メートルあまり。

「いったい、どうしてできた穴なんだろうなあ」

 黒木はしきりに首を捻っていた。

「やっぱり水に溶けやすい物質が長い時間に溶かされてできたんじゃないか」

「そんなにたくさんの水がありますかね」

「わからんぞ。一億年前とかだったら」

「でも天井とかの形状はそれっぽくないんですよね」

「穴の奥に鉱物反応は無いのか」

「うーん。炭素を示す数値が出ている。石炭があるのかも知れないですね。そのくらいかなあ。まっ、初めて訪れた星に少し位不可解な地形があるのは当たり前でしょうけどね。それじゃあ頂上まで行ってみますか」

 黒木は機械を畳むとリュックにしまい、再び斜面を登り始めた。

その足取りは比較的軽い。生物探索をやっていた頃にはかなり太っていて、こういった斜面を登るのは嫌がったものだが。今の体重は八十キロを切っているだろう。その頃好んでかけていた怜悧なサングラスも、最近はかけていない。その代わり口周りから頬顎にかけて髭を生やしている。

黒木の歳は四十過ぎ。もう若くはない。いささか変わり者なのは相変わらずだが、昔のような粋がり方は少なくなった。私はもう五十代で、宇宙探索員資格の定年が近づいている。最近は、自分のやってきた仕事はいったい何だったのだろうと振り返ることが多くなった。

宇宙探索は麻薬のような中毒性を持っている。生物の探索は特にそうだと思う。もしその任を解かれていなかったら、今でも功を焦って前を見るばかりで過去を振り返る余裕が無かったかもしれない。

丘を登っても、眺望は一向にパッとしなかった。凹凸の少ない赤茶けた大地が広がっているだけだ。三百六十度に渡って地平線まで見通せるが、そんなに広大な感じはしなかった。大気が薄いために遠くの物が青みがかって霞んで見える現象がほとんど起こらず、遠くのものが近くに感じられてしまうのだ。地球よりやや小さいくらいの規模がある星にも関わらず、箱庭のような世界と思える。

丘の麓から少し離れた所に停めてある宇宙船は真っ赤で甲虫めいた形をしており、離れた所から見るとそれも何だかミニチュア的だった。

黒木はそれを揶揄した。

「よくあんな物でこんな遠くまでやって来ましたよねえ」

「まったくだな。乗っている時にはそう感じないが」

「僕は航行中もそう思っていましたけどね。ふうむ。このあたりが頂上かな」

 黒木は、座るのに丁度いい上部が平べったい岩を見つけて腰を降ろした。

 岩は横に広かったので、私も何となく隣に腰を降ろす。

 背伸びし、何となく空を見上げた。雲一つなく晴れ上がっているが、青味が少ないので今一つ爽快感がない。それとは対照的に頭上の高い所にある恒星は、気持ち悪いくらい黄色い光を放っている。頭をジリジリと炙られるようだ。透明ヘルメットに紫外線カット機能が無かったらあっという間に日焼けして、肌にヒリヒリした痛みを感じ始めるだろう。

 私たちはしばらく無言だった。来てはみたものの、これといって何をやるという予定はない。

エアポケットに入ったような、奇妙な空白の時間が流れる。「自分はどうしてここにいるのだろう」と不思議な気分になるような。

ふと思った。

こういう瞬間は、実は重要な時間なのではないか。ある意味タイムスリップ的というか、過去の同じような瞬間と、時空が繋がってダブっているような錯覚に捉われた。

私は生物探索で訪れた幾つかの星を思った。その星々で感じた、無用と思える空白の瞬間の数々が頭に浮かんでくる。真っ赤な植物に覆われた惑星、地表の98%が海洋だった蒼き水惑星。恒星の光がぼんやりとしか届かぬ中で火山活動ばかりが活発だった地獄めいた光景の星・・・・・・ずいぶんと、様々な場所へと言ってきたものだ。

何だか切ないような気分になってくる。

隣にいる黒木は、そんな情感をまったく感じていないようだった。

「何億年か前にはこの大地に木々や草が茂っていたのかなあ。原さん。想像できますか?」

 そう言われて考えてみたが、地形が平坦過ぎてピンとこない。もし森林が広がっていたとしても、ここから見たら苔がむしているようにしか感じられないかもしれない。

「いや、あまりイメージできないね。緑の絨毯が広がっているような感じかな」

「植物があったとしても色は緑じゃないと思いますよ。植物が緑色になるのは恒星からの光に緑の波長が多い場合なんで。緑色になることで光の中の多すぎる波長の光線を反射して、受ける光の量を加減するんですね。この星を照らす恒星の光は黄系統が強いから、植物に色があるとしたら多分黄色になると思います」

「ほう。詳しいね」

「今回の航行は退屈だったので勉強しましたから」

「黄色い植物群か。となるとなおさら想像しずらいな」

「永遠に続く黄色紅葉の森。でなければ光線が多すぎるということはなくて、すべての光線を吸収するべく漆黒の森になるか」

「それはゾッとしない」

 私は眉を顰めた。

 黒い森には厭な思い出がある。私たちが任を解かれるきっかけになった、最後の生物探索で訪れた星がそんな植物生態系を持っていたのだ。暗い森を見ていると気分が滅入り、魔界に迷い込んだような気分にさせられたものだ。探索は上手く行かず、予期せぬ困難が噴出して隊は全滅寸前の危機に陥った。思い出したくもない。

 その思いは黒木も同じようだった。

「僕も黒い森は嫌いです。暗黒の森がすべからく邪を孕んでいるということはないでしょうが。ところで、この星にいた生物がすべて死滅したのはどうしてだと思います? 超新星爆発の放射エネルギーを受けたから、とかいうのが妥当でしょうかね」

「この星系の近くにそういう爆発の痕跡でもあるのかい」

「いえ、それは分からないですが。生物が全滅する理由はそのくらいしか考えられない」

「ちょっと思いついたんだが、この星で繁栄していたのは植物だけで、それ以外の生物は最初からまったく存在しなかった。ということは考えられないかな」

バクテリアのような微小生物の段階を経ずに植物が進化するということはあり得ないでしょう」

「分からないぞ。生命のない星に、隕石に乗って植物の種だけが運ばれてきたのだとしたら。その植物は競争相手のいない星で一時大繁栄を遂げたが、他星で長く生きて行くのはやはり無理があって絶滅してしまったんだ」

「ふむ。ユニークな説だな。だとすると、その、この星に飛来した種はどんな植物のものだったんでしょうね。もしタンポポの種だったら果てしなくタンポポだけが生えた花と綿帽子の星になり、蔓草だったら蔓草が果てしなく絡まり合う星になりそうだけど」

「もしキャベツとかの種だったらキャベツ惑星かな。ジャグール椰子の種だったら蛍光性の樹脂で塗り固められて星全体がネオンのようにキラキラ輝く」

「そりゃあいい」

黒木は唇の端を歪めて笑った。それが引っ込むと、ふと思いついたように、

「ところで原さん、以前言っていた離婚するかもしれないという話はどうなりました」

「言ってなかったかな」

「聞いてないですよ」

「正式に離婚が成立したよ。息子ももう成人したし、あと腐れはない。金をがっぽり取られはしたがね」

「寂しくはないですか」

「多少はね。だが、浮気した自分が悪かったのだから仕方ない」

「そんなに簡単に割り切れるものですかね」

「そういう君はどうなんだ。今つき合っている相手とは上手く行ってるのか」

「ハハハ。とっくの昔に別れましたよ。結婚なんて僕には似合わない」

私は「やっぱりな」という言葉が出そうになって、危うくそれを飲み込んだ。

元々黒木が彼女と仲良く並んでいるという図からして違和感があった。以前見せられた写真では、若くて可愛めの女性だっただけになおさらだ。

「ちなみに別れたきっかけは、僕の投資の失敗です。金属相場でやられちまって、彼女に金を借りるようになったのが不味かった。原さんとは原因と結果の因果関係が逆ですが、両方失ったのは同じですね」

「・・・・・・お互い人生が下手糞だな」

「そうでなかったらこんな宇宙の辺境には来ないでしょう。おや?」

 黒木は自分が座っている岩に目を留めた。大きく足を拡げて股の間を繁々と見る。そこには吸盤めいた円形の出っ張りがあった。

「これはひょっとして動物の化石なんじゃないかな」

「何だって」

「この形はきっとそうだ。原さんの、植物だけが宇宙から飛来した説は外れましたね」

「よく見せてくれないか」

 黒木は私の求めに従って、立ち上がって平らな岩の面を露わにした。

 灰色の岩肌に、黒褐色の渦が浮き出ている。大きさは十センチくらい。渦巻きの端からは触手らしき線状物が数本出ている。状態のいい化石だった。

「これは植物じゃあないな。驚いたな。こんなところに残っているなんて」

「化石ってのは意外なところにあるもんでしょう。探せば他にもあるんじゃないかなあ」

 黒木は左にある一際大きな岩に目をやった。紡錘形の岩が、半分地面に埋まって斜めに立ったようになっている。それに近づいて表面を舐めるように見て、地面に埋まる境目あたりに目を留めると歓声を上げた。

「ああ、やっぱりだ。原さん。ここに凄いのがある。ほら、薄っすらとだが、見えるでしょう。大物が。五十センチくらいあるんじゃないかな。僕の言った通りでしょう。少なくともこの星にはアンモナイトめいた生物は繁栄していたんだ。となると、どうして絶滅したのかがなおさら気になるな」

 私は巨岩にぼんやり浮き出た渦巻き模様を見ていなかった。その前にしゃがみ込む黒木のはしゃいだ言葉も頭に入ってこない。

 それどころではない物が視界に入ってきていたからだ。

 黒木の頭上、高さ二メートル近くある岩の上に、とんでもない物があった。

自分の目を疑った。

 それは伝統的な洋式便器くらいの大きさがあった。そんな尾籠な物を思い浮かべたのは、大きさだけでなく形も少し似ていたからだ。蓋を閉めた時の形である。

 とは言え、かなり違ってはいる。便器よりも幅が狭かったし、天辺には装飾的な飾りが付いていた。鶏のとさかのような青いビラビラが飛び出ている。両側面には果実を半分に切ったような半球体が出っ張っていた。

表面は凸凹している。鳥が羽を毟られた跡のような、気色の悪いブツブツが並んでいた。

 巨大な鳥の雛か、奇獣に類する爬虫類か、といった感じの大きな頭部が、巨岩の上にヌ―ッとつき出てきたのだ。便器の蓋にあたる部分が口である。その先端は、幾分嘴っぽく突き出ていた。

 太い首は下へ行くに従って細くなり、それに繋がっているはずの胴体は岩の陰に隠れて見えない。

 太古にはアンモナイト型の生物が、どころの騒ぎじゃない。今現在生きている奇怪な動物が、跳び出た両目をぐりぐり動かしてこっちを覗き見ているのだ。

 非現実感が半端じゃなかった。

 私は掠れた声を出した。

「おい、黒木」

「反論しても無駄ですよ。この化石は絶対的な証拠ですからね。削り取って持ち帰ったら高く売れるんじゃないかな」

「そうじゃない。岩の上を見ろと言ってるんだ」

 苛立って、押さえた声で叱りつけると、黒木はようやくこちらを振り返り、次いで岩の上にある物に気づいた。

「おわっ、何だあれはっ」

 よろけながら慌てて立ち上がり、岩から離れて私の傍に来た。

 私は岩の上にある顔から目を離さずに訊いた。

「武器は持ってきているか?」

「持ってるはず無いでしょうが。危険動物どころかバクテリアすらいない星なんですよ」

「私も持っていない」

怪物めいた顔は、斜めに首を傾げるようにして私たちを見降ろしていた。巨大な目は、左右別々に動いている。右目で私を、左目で黒木を見ているようだ。初めて見る新参者を、不思議がっているような仕草。その動きは、何となく鳥を思わせた。

 どう行動したものだろう。肉食動物には、逃げる相手を追いかけて襲う習性を持っているものが多い。危険だからといって一目散に逃げればいいというものではなかった。目を離したら、その瞬間に襲って来る可能性もある。

 私はゆっくりと円弧を描くように横へ移動した。とりあえず、岩の陰に隠れている相手の全身を確認するべきだ。それによっても対応は変わる。幸い怪物はすぐには動かなかった。

 少しホッとした。回り込んで見た胴体は、思ったほど大きくはなかったからだ。胴体と頭を合わせた長さは二メートルに満たない。ひょろっとした脚が縦に伸びている分だけ岩の上に頭部を出せていたようだ。

 鳥では無かった。胴体は魚のように平べったくて地球産のカメレオンと似ており、背中にはラクダのような大きな瘤が三つある。尻尾の先は渦巻き状になっていた。脚は六本。後ろの四本は細くてガニ股で、前の二本の先はギザギザした爪のついたシャベルのような形をしていた。頭部が突出して大きいアンバランスな体型だ。

 一番後ろの脚で立ち、中脚と前脚を岩に着いて上体を乗り上げている。

 動物は私の動きに反応し、岩から降りようとし始めた。

だが、その動きはおそろしく遅い。まずはゆっくりと右前脚を持ち上げて移動させ、それを降ろすと次は左前脚を持ち上げてゆっくりと移動させる。次に中右脚を持ち上げて移動させ・・・・・・と言った風に、脚を一本づつ動かしてゆく。それも粘着物でくっついた脚の裏をネチャッと剥がしていくような動きでまどろっこしい。関節はギクシャクして全然機能的ではなかった。身体の向きを変えるだけでも二分くらいはかかりそうだ。

 私のそばに来た黒木はそれを見て呆れたように、

「これはまた随分悠長な生き物だな」

「油断するなよ。突然速く動くかもしれない」

「大丈夫でしょう。どう見ても捕食者の動きじゃない」

「分からないぞ。特殊な攻撃武器を持っている可能性もある」

「そう言えば地球産のカメレオンも、動きはのろくても舌を伸ばすのは速いんでしたっけ」

「そういうことだ。刺激しないようにしてゆっくりこの場を離れよう。観察するのは武器を持って来てからにした方がいい」

「この場を離れている間にコイツは逃げてしまうんじゃないですかね」

 黒木は視線を動物の足元に向けた。動物がもたれている岩と地面の間には、動物が通れそうなくらいの隙間が空いていたのだ。中は真っ暗で奥はかなり深そうだ。この動物は、ここから這い出てきたのかもしれない。

 この中へ逃げ込まれたら二度と遭遇できまい。                                               

「そうなったとしても仕方ないだろう。安全が第一だ」

「ふーん。そうかな。僕にはコイツは全然安全に見えるんだが。むしろ僕らと仲良くしたがっているんじゃないですかね」

 黒木は前に進み出た。そして大胆にも得体の知れない動物の背中に手を伸ばしてゆく。

 私は思わず悲鳴を上げた。

「何をやってるんだ!」

「ほら、大丈夫ですよ」

 黒木はペタンと怪物の背中の瘤のあたりに手を着けた。全身を包んだ惑星探査スーツには防御力も多少はあるとは言え、考えられない無謀さだ。

「襲ってきたらどうするつもりなんだ」

「そんなことはしませんよ」

 怪物は首をU字型に捻じ曲げて黒木を見た。付け根あたりでくびれた首は柔軟で、三百六十度どの方向へでも曲げられるようだ。亀が甲羅から首を突き出している姿を思わせる。

 何を考えているのか分からない、ピョコンと突き出た巨きな目。白目にあたる部分はブツブツのある皮に覆われており、中心に、ポツンと黒い穴が空いている。

触られたのを嫌がってはいないようだ。

黒木は得意げだった。

「ねっ。原さんも感じないですか。従順温厚な草食動物のオーラを」

「植物なんてこの星のどこにあると言うんだ」

「それを言うなら捕食する動物だっていませんけどね。とにかくこんな掘り出し物を逃す手はないですよ。ひょっとしたら、一攫千金につながらないとも限らない」

 新発見された宇宙生物は、捕獲して繁殖させれば大きな利益を産むことがある。ペット用や動物園用、場合によっては食肉用としても用途があり、人類の植民惑星のすべてに流通するようなヒットになれば一生遊んで暮らせるような資産を作れる。利益の八割は会社に取られてしまうが、残りの二割でもそれに値する利益となるのだ。金欠の黒木はそれを夢見ているのだろう。

 しかし、それはどう見ても期待薄だった。目の前の動物は可愛くはないし、かっこよくもない。それどころか、生理的な不快感を催させるような不格好さなのだ。好んで飼う人がいるとは思えない。飼育方法も分からない状態では、動物園でも買い取ってくれるかどうか怪しいものだし、食肉用になるとはなおさら思えない。

下手すれば連れて帰る経費で赤字が出てしまう。一応船内には宇宙動物を連れて帰るための施設があるが、無条件で使用するべきものではない。乗員のための水や空気を削って与えなければならないリスクも考慮して秤にかけなければ。

 黒木は動物から手を離し、リュックから調査用カメラを取り出して動物を録画し始めた。カメラには多くの機能がついており、生物録画モードを使えば動物の体温や体内の骨格構造を自動でスキャンし記録できる。初期観察には欠かせない機器だ。

 動物はようやく岩から地面に身体を降ろし終えた。そして、黒木が構えた機械を珍しがるように顔を突き出してくる。

 と、思うとだらんと首を下げた。うなだれて地面を見ているのかと思ったらそうではなかった。脚が萎えたように震えだして態勢が崩れ、そのまま腹部をペタリと地面に着けてしまったのだ。へたり込んだという形容が似合っていた

 岩の上に上半身を乗せて、さらにそこから降りたことで、力を使い果たしてしまったかのようだった。

 首から先も完全脱力してしまっている。

 苦しそうだった。嘴っぽく見える口の先端が小さな円になり、そこから声が漏れて出た。

『水・・・・・・』

 そう聞こえて驚いた。いや、実際に聞こえた音はそれではない。空気を振動させたのは、動物の喉奥から響いてくる、海獣の鼾のような弱々しい異音だった。だが、それと同時に、意味が強く頭の中に浮かんできたのだ。この動物は「水」と言っている。水を欲っしていると。

 この奇妙な現象は、私だけに起ったのではなかった。黒木はびっくりして私の顔を見た。

「原さん。今、『水』って言いましたか」

「いや、何も言ってない。君の頭にもそんな言葉が浮かんできたのか」

「へえ。原さんが言ってないとすると・・・・・・」

 黒木は目の前にへたばっている動物を薄気味悪そうに見降ろした。

「この動物がテレパシーで意思を伝えたとか? まさかね」

するとそれに応えるように、動物は再び巨大な麺をすすり上げるような異音を発した。ズズズズズォーッと。それと同時に、どこから聞えるとも知れない言葉、というより『意味』そのものが頭の中心に浮かんで来る。

『水・・・・・・水・・・・・・』

 と。さっきよりさらにハッキリしていた。まるで天空から神のお告げが降りてきたかのようだった。

 私たちは顔を見合わせた。

「そんなばかなことが・・・・・・」

 私が強張った呟きを漏らすと、動物は三たび唸り声を発した。

同時に『水・・・・・・欲しい』という意味が、くっきりと頭に浮かんできた。

 もう間違いはなかった。この動物はテレパシーめいた意思伝達能力を持っている。それを使って「水が欲しい」と訴えてきているのだ。

 

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 もちろん私たちは宇宙船から水を運んできて動物に与えた。

バケツ型の容器に入れて顔の前に置くと、動物はそれを実に奇妙な飲み方をした。口の中からチューブ状になった長い舌を突き出して、その先端を水の中に浸してストローのように吸い上げたのだ。あまり近くに容器があると舌を持て余してかえって飲みづらいらしく、飲み始めてから少しづつ後ずさりして二メートルくらい距離を取った。そうするとようやく落ち着いて飲めるといった感じになった。二メートル弱の長さの身体に、二メートル以上の長さの舌が内蔵されていたことになる。

この長い舌は、岩盤の割れ目の奥などにある地下水を飲むために進化したのだろうか。

三リットルの水が見る間に空になり、そして動物は元気を取り戻した。とは言っても動きは依然としてのろく、関節が外れそうにギクシャクしているのは相変わらずだったが。少なくとも腹をベタリと地面につけて動けなくなるようなことは無くなった。もっとも下腹がぷっくりと膨れたので、地面に腹の全面をペタリと着けるのは難しい体型になってしまっていたが。

黒木は興味深々で、しきりに動物に声をかけた。

「おい、水をあげたんだから答えてくれよ。お前はいったいどんな生き物なんだ。どこに住んでいて、何を食べている?」

私は、それに答えるのは無理だろうと思った。『水が欲しい』という意思を発信できたとしても、それは私たちの言葉を理解できるということを意味しない。

猫がニャーと鳴いて空腹を訴えるのと大差ないレベルの意思表示を、テレパシー的な能力を使って行ったに過ぎないのではないか。

黒木も期待はしていなかっただろう。だが、それは違っていた。驚いたことに、この動物は問いに呼応して、より複雑な『意味』を語ったのである。

水を飲む前より幾分大きくなったズズズォーッという吸引唸りと共に、『住む。地面穴・・・・・・』続けてもう一度唸ると、『食べる。黒塊・・・・・・』という意味が頭に浮かんできた。

「お前は、僕の言葉が分かるのか」

黒木は大きく目を剥いた。

動物は首をマリオネットのように左右に揺らつかせていた。

喉の奥から再び吸引的な音を発した。

『言葉。?』

「だから、こっちが言っていることが理解出来ているだろう。それは何故かと訊いてるんだよ」

『言葉。・・・・・・分からない』

「分かってるじゃないか」

『言葉・・・・・・?』

私は見かねて割って入った。

「いや、黒木。こいつはきっと言葉という概念を知らないんだよ。考えてもみろ。もしテレパシーで仲間と会話できるとしたら、イメージで意思が伝わるから文字による伝達なんていうものは必要ないとは思わないか。こいつが私たちに伝えてきているのは単なるイメージであって、私たちが勝手にそれを頭の中で言葉に置き換えているに過ぎないんだろう。きっと私たちの言葉ではなくて、私たちが頭の中で思い浮かべた『意味のイメージ』そのものを感じ取って答えているんじゃないか」

「そんな器用なことができますかね」

「複雑な言語を瞬時に理解したと考えるよりは合理的だよ」

『言語・・・・・・?』

「だとすると、こいつは僕たちの考えていることが分かるということになる。悟りの化け物みたいでいい感じはしないな」

黒木は不服そうに鼻を鳴らした。

「きっと常に考えていることが分かるというわけじゃあないだろう。私たちが考えを纏めてそれを伝えようと言葉を発した時に何とかそれを感知できるといった風に見えるが。それより、どの程度の知能を持っているかに興味があるな。どんな生き物なのか。答えてくれるのならどんどん聞き出そうじゃないか。地中の穴の中に住んでいると考えていいんだろうな。食べているのは黒塊? 黒塊って何だろう」

「おい、もっと詳しく教えてくれないか。黒塊って何だ」

奇妙な動物は、黒木の呼びかけにより強く反応するようだった。私より黒木の方が思念が強いのかもしれない。

『食べ物・・・・・・』

「だから、どんな食べ物なんだ。植物か。それとも動物か」

すると動物は駝鳥のように首を傾げた。

『植物。動物?・・・・・・分からない』

 よって立つ思考のベースが全く違う相手と意思の疎通をするのは困難極まりなかった。野球チームとサッカーチームが試合をするようにまったく噛み合わない。

それでも辛抱強く試みを続けていくと、どうやらこの動物は、そもそも植物がどういう物なのかを知らないらしいと分かってきた。動物の類も一切知らず、自分たちがこの世界で唯一の生物だと思っていたようなのだ。

この星にいる生物は、この動物一種類のみである可能性が高いようだ。そしてその唯一の種も、大分数が減ってしまっているらしい。動物は私たちの質問に対し、この近辺に仲間はいない。自分だけである、という意味を伝えてくれた。繁殖相手を探すのが難しいくらい、種の密度が希薄になっているのか。

動物は、想像以上に知能が高かった。人類の惑星連邦基準に照らして、充分知性動物に分類される水準にあった。類推能力があり、対話を繰り返すとこちらの説明を少しづつ理解して、質問に対する答えを正しい方向へ調整してくる。理論が不明な点について質問してくることもあった。

チンパンジーなどと比べるのが失礼なくらい賢く、知能指数は八十を超えているだろう。

思考能力が高いため、私たちの存在が不思議でならないようだった。私たちがこの動物を奇妙に思う以上に、動物は私たちを奇妙に思っていたのだ。想像したことすらない存在が、目の前にいるのだから当然だろう。

人間なら「神もしくは魔物が現れた」とでも思うところだろうが、そんな概念はこの動物にはないようだ。自分たち以外の種を全く知らなければ、超越者の概念も持ちようがない。

私たちは完全に彼らの世界観の埒外の存在であり、この動物を大きく混乱させてしまったようだった。

水不足で弱っていた身体が急激にへたばってしまったのも、初めての状況に脳が情報を処理しきれずに神経系が乱れ、身体の機能が狂ってしまった、というところがあるようだ。

この動物は、見た目によらず繊細だったのだ。

ところでこの動物は、いったい何を食べているのか。それは間もなく判明した。動物は、喉元にある食物を溜めておく袋から、その実物を地面に吐き出して見せてくれたのである。

それは、黒塊と言うにふさわしく、堅くて黒々とした艶を持っていた。太古の植物が変質し石状になった炭素。大きな運動エネルギーを秘めた、石炭に類する物質だった。

この動物は地面に穴を掘り、石炭を掘り起こして食べていたのだ。すべてのエネルギーをそれから摂取し、あとは水しか口にしない。六本ある脚の前腕にあるシャベルめいた構造は、土を掘るために進化したものらしい。

それを知った私と黒木は、複雑な思いで顔を見合わせた。何と言う哀しい定めの動物か、と思わないではいられなかったのだ。石炭の材料となる植物はとうの昔に死に絶えている。もう新たに地中に石炭が補充される可能性は無い。つまり、今ある石炭を掘りつくして食べつくしてしまったら、この動物は絶滅する。その定めの元に、何百万年だか何千万年だかを生き抜いて来たというのか。生物の食物連鎖を糧とする、他の生物すべてが死に絶えた遥か後まで。だがそれももう限界に近づいて、数が減ってしまっている。私たちが調べた限りでも、この星に残っている石炭は僅かだ。

とはいえ、この状況を哀れだとは、動物自身は思っていないようだった。彼らにとってはそれが当たり前で、それ以外の生物の形態を知らないのだから。それを当然のこととして受け入れた上で、繁栄する道を考えるしかないのだ。

彼らが温厚な動物だ。という黒木の推定は当たっているようだった。植物食どころか、生物ですらない物を食べており、しかも争いの元となる他の生物を知らないのだから。これでガツガツした性格だったらおかしいというものだ。

事実、動物はのんびりとして「意味」を発し、ゆっくりと動いた。悠久の時の中で、永遠のまどろみを彷徨うようにして生きてきたらしい。だからこそ、私たちが出現した事態について行けなかったのだろう。

私たちは、動物からも質問をされた。

私たちがどういう存在なのか、について。唸り声と共に非常に強い「?」マークが投げかけられてきたので、できる範囲でそれに答えた。しかし、理解してもらうのは難しかった。そのための前提として、知ってもらわなければならない事が多すぎるのである。細かいところを端折って、「空の向こうからやってきた生物」とでも言うしかない。宇宙という概念を正しく説明することはできなかったし、そもそもが私たちの頭にある「生物」という概念を理解してもらうのも難しかった。

自分たちしか知らない彼らは、生物に対する認識が私たちとは全く違っていたのだ。彼らにとっては「生物=自分たち」であり、それ以外のものが生物のはずがない。だからそもそも私たちを生物だとは考えていなかった。

この世にあるはずのない、奇怪至極な自然現象。「奇妙な形をした粘土の塊りが自在に動いて思考波を放っている。これはいったいどうしたことなのだ」という認識に近かったようなのである。

私たちは「生物の種は複数存在する」という事実を理解してもらうだけでも相当な苦労をした。それ以外の事柄に関してはなおさらである。

気がつくと、かなりの時間が経ってしまっていた。

疲労を覚えた。神経が、今までに感じたことのない疲れ方をしている。この動物との対話は、

人間の神経系を不自然に興奮させるところがあるようだった。あるいは動物のテレパシー的思念を受信する時には、普段あまり使われない神経や、脳の部分が刺激されるのかもしれない。

動物とのやり取りが一息ついた時、私は黒木に「神経が疲れないか」と訊いてみた。すると黒木も同じ感覚らしく、丸っこい目を充血させて顔を顰める。「ええ。何だか変な感じですね。無重力環境で徹夜でチェスを指したみたいだ」

 私たちにとってもこれは初めての経験である。無理をしない方が良さそうだった。

 まだまだ訊きたい事は山ほどあったが、とりあえずはお互いの基本的な情報を知り得た。というだけでも満足すべきなのだろう。

私たちはいったん帰ることにした。とりあえずは宇宙船で休息して、それからもう一度会いにくればいい。

しかし、その時にも動物はここにいてくれるだろうか。私たちが去った後、動物が穴の中に戻ってしまったら、再び会うのは困難になる。

穴の入り口で音を発して呼び出す、などという再会方法を考えたりもしたが、動物にそれを理解させるのは難しい。また意味の堂々巡りになって、時間を浪費してしまうだけではないか。

いや、そもそもが、この動物には聴覚はあるのか? それからして分からなかった。私たちの声に対して答えるので何となく聞こえるものと思っていたが、思念を読み取っているのなら、聴覚が無くてもそれはできる。動物自身が発する声も、思念を発する時に呼吸が強まってそうなるだけかもしれないのだ。

動物の頭部には、見たところ耳を思わせる器官は無かった。

しかし、それらは杞憂だった。動物は、私たちから離れる気がなかったのある。

私たちがいったん帰る旨を伝えると、動物は『?』マークを発してきた。

帰るという概念も上手く伝わらないのか、と私はがっかりした。これでは再会の約束などできるはずがない。

私たちは諦めて宇宙船へ向かって歩き始めた。すると、動物はその後をのっそりとした足取りでついてきたのだ。

 どうやら宇宙船に興味があるらしかった。地面にへたばりながら、私たちが宇宙船へ水を取りに行くのを見て、「あの大きな物は何だ」と思っていたらしい。知能が高いだけあって、動物は好奇心というものを持ち合わせていたのだ。

 得体の知れない動物を後ろに従えて歩くのは、正直気分のいいものではなかった。危険はないという判断はできても、頭を齧られるのではないかという不安はぬぐえない。下り斜面なので、なおさら動物の口は私の頭に近い位置にきた。おそらく齧られても惑星探査スーツの透明ヘルメットは歯を跳ね返してくれるだろうが。

この感情を、動物は感じ取っているのかどうか。対話を重ねた感じでは、私たちが言葉を発した時でないとイメージを読み取れないようすだったが、本当のところは分からない。

 先頭を歩く黒木はそんな懸念は感じていないようすで、大きな声で軽口を叩いた。滅多にない新発見動物に遭遇したことで、テンションが上がっているようだ。

「宇宙船を近くで見たいのかい。何だったら、中も見せてやろうか。船の中には空気や温度などの環境をこの惑星と同じように変えられる場所がある。そこになら居心地よく居てもらえると思うんだが」

「おい、この動物を宇宙船に乗せるつもりか」

「いけませんかね。多分この動物も、中を見てみたいと思うんですが。なあ、そうじゃあないかね」

 黒木が振り返って動物に問うと、動物は風邪をひいた象が鼻をすするような音を発した。

『見る。良い』

「ほらね。何となく、僕はこいつの気持ちが分かるような気がするんですよ」

「そういう気がするだけじゃあないか」

 私たちは傾斜を降り切り、宇宙船の前に着いた。

 近くで見上げると、機体はそれなりの大きさがある。六本の支脚を下へと伸ばして全体を支えている甲虫型のボディ。光線を完全反射するコーティングがされているので窓は外からではどこにあるか分からず、外壁はすべて同じようなツルンとした曲面と見える。支脚以外の出っ張りは、搭乗用のタラップが一本地面へと伸びているだけだ。

 動物は立ち止まると、ピタリと動きを止めて機体を見上げた。

 いったい、この宇宙船がどのように見えているのだろう。この惑星にはぼやけたような薄青の空と赤茶けた大地しかない。こんな鮮やかな原色の赤は見たことがないはずだし、こんなにツルンとして光を反射する物体と遭遇するのも初めてだろう。

 と、思うとその目が驚愕したように跳び出し始めた。比喩ではなく、本当に二十センチくらい機体の方へ向かってニューッと伸びた。そうやって初めて立体視が出来るらしい。奥行きや大きさを正確に測っているのか。

「どうだい。ちょっとしたもんだろ」

 そのようすに少し怯みながらも胸を張る黒木に対し、動物は腹の底から猫が喉を鳴らすような声を発した。

『大きい・・・・・・動物』

「これは動物じゃないよ。だから中に入っても大丈夫だ」

 しかし動物には黒木の言う意味が分からなかったらしい。ゆらゆらと、頭を左右に揺らし始める。その揺れは、次第に大きくなった。

今度は機械の概念を説明しなければならないのか。私はウンザリした。

「なあ黒木、この動物に説明していてもキリがない。中に入れるのか入れないのか。それだけハッキリさせてくれないか」

 言われた黒木は動物に対し、近くで宇宙船を見ただけで満足したのか、それとも中に入ってみたいのかを訊いた。

 すると動物は間髪を入れず、短い声を発したのである。

『入る』

 これまでになく毅然とした、強い意思の表明だった。

 

                      3

 

 私は憂鬱を感じ始めた。

どうにも落ち着かず、居心地が悪い。収まりがつかない難物を抱えてしまった感じがする。

 宇宙船内に入った動物は、動物運搬用ケースの中から船内をじっくり眺めた。船内の風景は動物にとっては驚異の連続だったらしく、移動する間ずっと目を飛び出させたままでいた。そして、その後本格的な動物飼育スペースに入ると寛いだようすで動きを止めて、そのままそこに居ついてしまったのだ。

目を引っ込めてのんびりと寝そべって、意識のスイッチを切ってしまったように動かなくなった。眠る、というのとは少し違う感じだった。

 片目だけを瞑り、(動物には目を瞑る能力があったのだ)呼吸のペースを落としていた。よく見ると、その呼吸も変わったものだった。動物は、息を吸ったり吐いたりしないのだ。ずーっと果てしなく吸い続け、果てしなく吐き続ける。息を吸う穴と吐く穴が別なのである。

 おそらく大気の薄い環境に適応して呼吸効率を上げるためにそうなったのだろう。吸う穴は口の上に三つあり、吐く穴は首の下に二つあった。呼吸によって胸が上下しないので、呼吸レベルが低いと外見から呼吸しているのかどうかを計るのは難しい。剥製のようにしか見えなくなってしまう。

 まるで即身仏になろうとしている僧のように、深い思慮に埋没しているかのようだった。

 まったく帰ろうとする気配は無く、そうやって十四時間が経過した。

 私は焦りを感じてきた。宇宙船が飛びたないといけない期限の時間が迫っていたのだ。

「おい、どうするつもりなんだ」

 オペレーションルームで出発前の点検作業をしている黒木に訊くと、黒木はすっとぼけた顔をする。

「どうするつもりだ。と言いますと?」

「あの動物のことに決まっているだろう。まさかこのまま連れて行くつもりじゃあないだろうな」

「連れて帰っちゃあいけませんかね」

「何を言ってるんだ。知的生物は捕獲してはいけない決まりなのは知っているだろう。動物飼育室スペースに入れておくだけでも微妙なところなんだ。連れて帰ったりしたらライセンス剥奪ではすまない罪になる」

「分かってますよ。まったくお堅いなあ。しかしね、ものは考えようです。知的生物の扱いを明示した規約には、こんな追加条項もある。『ただし、知的生物が生存もしくは絶滅の危機に瀕し、それを助ける場合。かつ、知的生物自身が望む場合にはその限りにあらず』。絶滅の危機を助けるためなら連れて帰ってもいいんですよ。あの動物は、遠くない未来に絶滅するのが分かっているじゃないですか。今ある石炭を食べつくしたら死に絶えるしかないんだから。それが百年後か千年後か十万年後かは分からないですけど、確実に死滅するんだ。下手をすると、数年後という可能性だってある。あの動物は、自分がこの星に残った生命の最後の一体なのかもしれないと心配していましたよ。この食べ物が少なくなった星にいたら子孫を残すのもおぼつかない。だからその前に、他の星で生きて行く道を探る手伝いをする。これは規約違反にはならないと思いますけど」

「あの動物自身がそれを望んでいると言うのか」

「ええ。意思確認はもうできました」

「何だって?」

「原さんが『疲れた。後は頼む』とか言って仮眠をとっている間にね。僕はその後もしばらくあの動物と対話していたんです。そうしたらあの動物はこの星から離れたがっていると分かりました。このままでは絶滅が近いと薄々気づいていたんですね。石炭が少なくなっただけでなく、水も少ない。もっといい環境に移住できるあてがあるのなら、その方がいいと判断したんじゃないですか」

「しかし、そう簡単に石炭や大気構成が合致する星が見つかるとは思えない。結局は人間が面倒をみてやるしかないんじゃないか。見せ物になるか研究材料になるか、そんなところが関の山だろう。それでもいいと理解した上でのことなのか。こちらが一方的に情報を与えて、それをあやふやな認識しかしていないようでは、ボケ老人に最新テクノロジー契約を持ち掛ける悪徳セールスマンと変わらない」

「あいつは想像以上に頭がいいみたいですよ。状況はかなりのところまで理解しています。下手したら僕たちより知能指数が高いんじゃないですかね」

 私は黒木の顔をマジマジと見つめないではいられなかった。

「本気で言ってるのか」

「もちろんです」

「穴の中で石炭を食べて生活していて、どうしてそんなに知能が高くなるんだ」

「知りませんよ。嘘だと思うなら自分で確かめてみたらどうですか」

「しかし、船内に置いておくにしても食べさせるものがないだろう。石炭のストックなんて無いぞ」

「ああ、それは大丈夫です。あの動物はしばらくは何も食べなくてもいいようですから。あの背中にあるラクダの瘤みたいなところに栄養を蓄えているらしいんです。やつらは住んでいる穴に石炭が無くなったら、他の炭鉱に移動しなければならない。その長い旅ができるような体の造りになっているんですね。寝そべったままで二、三カ月過ごすのは何でもないですよ」

「・・・・・・やけに連れて帰るのに熱心だな。借金で首が回らなくてあの動物で一攫千金のチャンスをものにしようと焦ってるんじゃないのか」

「おや、これは随分な言いようだな。ハハハ。取り消すなら今のうちですよ」

「別に取り消しても構わないが。そういう気持ちが全然無いと言い切れるのか」

私は漠然とした不安を覚えていた。黒木はあの動物に対して積極的過ぎる。精神感応による対話を続けているうちに、無意識に動物の思念に影響を受けている、ということはないのだろうか。黒木が言うようにあの動物の知能が私たちを部分的にでも上回っているのだとしたら、まったくあり得ない話だとも言い切れない。

「あわよくば大儲け、という下心がなければこんな仕事はやっていないでしょう。それは原さんだって同じはずですがね。とにかく僕はあの動物を連れて帰るつもりです。原さんももっと動物と対話してから意見を決めたらいいんじゃあないですか」

 いつまでも押し問答をしても仕方がない。私は黒木に促され、オペレーションルームから出た。隣のサイドルームに入ると、動物飼育スペースはすぐ右の壁にある。

 問題の動物は透明板で気密状態に仕切られた中に、のんびりと寝そべっていた。

 左目を閉じていて、右目だけを動かして私たちを見た。

 黒木は朗らかに声をかけた。まるで親しい友人と顔を合わせたように。

「やあ、その部屋の居心地はどうだい」

 動物はズォーッと気道を詰めて吸う息を強くした。透明板は強度の割に薄いので音は良く通す。惑星探索スーツのヘルメットと同様だ。

 私の頭の中にこんな「意味」が響いた。

『悪くない』

 「悪くない」だって? 驚いた。動物は僅か十数時間の間に、複雑な意味の言い回しをするようになっている。人間との感応対話に馴れてきている。

「さっそくで悪いが、ちょっと相談したいことがある。前あった時に話した君を宇宙へ連れて行く話だが、この人はそれに反対なようなんだ。すまないが、僕にした意思表示をもう一度この人に対してもしてくれないか。君がこの星から離れて新天地へ行きたがっていることを教えてやってほしい」

 動物は黒木の呼びかけに即座に応じた。閉じていた左目を開けて、両目をニューッと突き出して私を見る。立体視で見られるのは、肉食動物に狙われているようで厭な感じだった。

 しかしその後の動物の身振りは哀し気なものだった。

動物は首をバネのように真上へ伸ばすと、震えるように身を捻じった。そして喉の奥からビブラートのついた振動とともに長く息を吐いた。

『この星に未来無い。・・・・・・他の星行きたい。食べ物と水があればいい。・・・・・・贅沢言わない・・・・・・お願いする』

「聞きましたか。僕の言った通りでしょう」

 黒木はしたり顔で口を添えた。

「ああ。そうだな。だが・・・・・・」

動物はもう一度長く微妙な振動のついた息を吐いた。

『絶滅・・・・・・防ぎたい。仲間・・・・・・増やしたい。・・・・・・お願いする』

「この動物は適した環境へ行けば子孫を増やせるらしいです。どうしてなのか正確には把握できなかったんですが、多分妊娠しているんじゃないですかね。連れが死んで独りぼっちになってしまったところだったのかも知れない。卵とかを沢山産むのなら、近親交配ででも子孫を拡げていけるんだと思います」

 黒木は冷静に説明した。

 目の前にいる動物は、子を宿した雌の可能性が高いのか。そう思うと動物を見る目が変わってくるようだった。

私は反論する気が失せて行くのを感じていた。

目の前にいる動物の、切実な気持ちが分かるような気がしてきたからだ。この動物は絶滅の危機に瀕している。その立場を人間に置き換えてみれば、辛さ切なさが分かるのではないだろうか。

 自分の子供が死にかけているという状況を想像してみる。身を切られるように辛いに違いない。しかし、それは自分一人の子孫が絶えるかもしれないという状況に過ぎない。この動物の苦難はそれを遥かに上回り、種そのものが絶えてしまいそうなのだ。これは個人単位の悲哀などを遥かに超えた、宇宙規模の絶対悲劇ではないか。

もし自分が人類最後の一人になって、見知らぬ異星人に拾われたとしたら、そのやるせない気持ちは如何ばかりになるか。想像もできない。

 動物の鳴き声は、まるでトランペットの哭きのワンフレーズのように哀し気に響いた。

 それは、私の胸を打ったのである。

 私を見つめる動物の瞳は光を反射して、潤んでいるようにも思えた。その周囲には複雑なフラクタル構造があった。中央の黒目の周りを覆った厚い皮には、鱗のような細かい皺と、羽を毟られた跡のようなブツブツがある。それが幾何学的で複雑な模様を形作っていた。

 初めて見た時には奇怪な造形と思ったが、見慣れたせいか異形感は感じなかった。

「この星を離れたらもう二度と帰っては来れないんだぞ。それでもいいのか」

 私が念を押すと、動物は再び海獣のいななきような声を発した。

『構わない。この星にはもう何も無い・・・・・・仲間も多分いない・・・・・・』

 

                   4

 

 私たちは動物を発見した惑星を離れ、同じ恒星の周りを回る兄弟星の第六惑星へ向かった。奇妙な動物を発見した第五惑星以上に、水が少ないとみられている星である。生物がいる可能性は極めて少なく、もちろん石炭は無いだろう。動物の移住先になれる可能性はゼロに近かった。この星系には、動物が移住できる星はないものと思われる。

 しかし、その見込みを聞かされても、動物に落胆したようすは無かった。同じ星系に留まるよりは、遥か遠くへ旅立った方がよりチャンスが多いと思っているようなのである。私たちにとってもその方が有難かった。

ここまで来ればもう乗りかけた船だ。黒木ほどではないが、私も動物を連れて帰った後のビジネスチャンスに期待する気持ちになってきていた。愛玩用にするのは無理でも、ユニークな知性を持っているのなら話題を集める可能性はあるだろう。何らかの形で金を作れるかもしれない。

少しでも人当たりが良くなるように、私たちはさかんに動物に話しかけた。すると、動物は驚くべき対話能力の上達を見せたのである。

第六惑星へと向かう航程の十日あまりの間で、会話は随分流暢になってきた。人間同士の会話とまでは言えないまでも、それに近いやり取りができるようになった。黒木の言う通り、やはりこの動物は頭が良かったのだ。

私たちは動物と会話しても酷く疲れるようなことは無くなった。対話が円滑になったのは、私たちが動物との会話に慣れてきたきたせいもあるだろう。しかし動物のコミュニケーション能力の進歩は、私たちのそれを遥かに上回っていたと思えるのである。

私たちはそんな動物に名前をつけることにした。いつまでも「動物」では、一つの人格(動物格?)として認めた存在を相手にするのに不便だ。しかし、いい案は浮かばない。知性を持つ相手に変な名前をつけたら失礼になるし、そもそもこちらが命名していいものかどうかもハッキリしない。制約が多くてどう考えるべきか迷ってしまった。

試しにどんな名前にしたいか動物自身に訊いてみると、意外にも確信的な答えが返ってきた。

『私の名前はクープアムア。それ以外には考えられない』と言う。動物には、名前という概念があったのである。

 私は黒木と顔を見合わせた。何て妙ちきりんな発音を選んだんだ。と黒木の顔にも書いてある。

 その後黒木は表情を取り繕った。顎に手を充て思案するようにして、

「ふーむ。クープアムアねえ。君には似合っているような気もするが。いったいどこからそんな言葉が出てきたんだい」

 動物は声と共にゆっくりとテレパシー的な「意味」を発した。その意思表示は、まるで異国の少年を諭すかのような口調、と感じられないこともない。

『元からあった、私たちの種族を表す名前だよ。それを名乗りたい』

黒木は「えっ」と驚いた。

「ちょっと待ってくれ。君の種族には、発音する言葉というものが無かったんじゃないのか」

『そんなことは言ってないよ。補助的に、重要ないくつかの事柄を表す発音はあった。これはその中でも特に重要なもの。私たちの声の奥にある微妙なビブラートを人間に理解出来る音に変換したらこうなるだろうということで、正確ではないけどね』

 動物、改めクープアムアは澄ましたような吸引音と共に答えた。私にもこの動物の発する吸引音の種類が少しは分かるような気がしてきていた。

「それは、種族を示すだけの発音なのかな。それ以外の意味はあるんだろうか」

 この私の呟きにも、クープアムアは答えてくれた。

『おおまかには、クープは〈唯一の〉アムアは〈存在〉という意味だと思ってくれたらいい。私たちは自分をそういうものだと思っていたのでね。だから君たちを見た時には本当に驚いた。舌先が呼吸穴を貫通するかと思ったくらいだよ』

 ユーモアのつもりなのか何なのか、クープアムアは妙な比喩で自分の気持ちを表した。

「ところで、・・・・・・クープアムア君」黒木は新しい名前がどうも言いずらそうだった。「前から訊きたかったんだが、この際だから教えてくれないか。君は僕らが考えていることがどの程度分かるんだ。僕らが喋った時には言葉の意味を読み取れるようだが、声を出さないで頭の中だけで考えている時にも読み取れたりするのか」

 それは私もずっと訊きたかったことだ。

 するとクープアムアはカメレオンのように大きな目をグリグリ回した。感心したようだった。

『ほう。君たち人間は、他者に意思を伝えようとする時以外にも、外部から読み取れそうなほど筋道立った思考をしているのか。他者に伝える気のない時には抽象的な思考をするものだとばかり思っていたがね。君たちの頭脳はやっぱり私たちとは違うんだなあ』

「その頭脳なんだが、私はどうも不思議でならないんだ。どうして君たちは、そんなに高い知能を持っているんだろう」

 私の問いに対しては、クープアムアは不思議そうなようすを見せた。

『それはどういう意味なんだろう。君たちに教えてもらったところでは、動物にはたくさんの種類があるんだったね。千差万別の生態を持っているということだったが、その中には知能が低いものもいるということなのかな』

「もちろん知能が低い生物はたくさんいる。君や私たちのように知性を持つ生物は稀なんだ。知能が低くて本能だけで生きているものが大半なんだよ」

『本能? それは知性とは違うんだね。考えずにあらかじめ決められたパターン行動をとるだけ、ということなのかな。しかしそれでは無限に近くある外部の状況に対応できないだろう。どんな場合にも直進することしか出来なかったりするのかい。おかしなもんだね。どうしてそれで生きていけるんだろう。大体知能が無かったら、仲間を増やすこともできないじゃないか。数を増やすことができなかったら、すぐに絶滅してしまう。理屈に合わないように思うがね』

「それがそうでもないんだよ。本能だけでも相当複雑な行動ができる。生殖も充分できるんだ」

 私は話しながら無力感を覚えた。大分改善してきたとは言え、まだまだよって立つ常識の溝が埋まっていない。

『生殖というのは同じ種族の仲間を増やすことを指しているんだったね。だとしたら、それは知性によらずにどうしてできるんだろう。知能があるからこそ仲間を増やせるのだと思うんだが。どうも私たちと君たちの仲間を増やす方法は違うように思えるね。君たちのやり方を詳しく教えてくれないか』

 私は苦労しながらそれを説明した。何だか気恥ずかしい思いに捉われながら。するとクープアムアは管楽器のような高くて長い声を喉奥から発した。大いに心動かされるところがあったらしい。

『仲間を増やすのにそんな奇妙な方法があるなんて夢にも思わなかったよ。君たちは二つの種類に分かれているのか。よくそれでお互いに分かり合えるものだねえ。面白い。とてもユニークだ。しかしその結果生まれる子供とやらは、どうして生まれる前に親の体の中にいられるんだろう。親の身体が二倍の大きさに膨らんでいるのかな』

 何を言っているのか分からなかった。私は戸惑いながら、

「もちろんお腹は膨れるが、そんなに大きくなるはずがない。どうして胎児がそんなに大きいと思うんだ?」

『その胎児というものは、君たち普通の人間よりも小さいのかい。それじゃあ人間の種類が三種類になってしまうじゃないか』

 ひょっとして、このクープアムアは、生物は子供から大人へと成長するものだ。ということを知らないのだろうか。クープアムアは成長をしない生物なのか。だとしたら、どのような生殖をするというのか。訳が分からなかった。

 とりあえず黒木が言っていた、この動物は妊娠しているという説は、間違っているように思われる。

「いや、生れた時に小さかった子供は時間と共にだんだん大きくなって、大人と同じ大きさになるんだ」

『ほっ、ほう。君らは大きくなるのか。なるほど。不思議な現象だけれど、それなら理屈には合ってるね。しかし、それはあまり効率が良くない方法のような気もするね。二種類のうちの片方しか仲間を増やせないのでは、もう一方の役割りはほとんど無いじゃないか。ところで君たちは、どちらが仲間を増やせる方のタイプなんだい。身体が大きな方の人かな』

 クープアムアは黒木のややふっくらとした腹のあたりを見た。黒木はそれを気持ち悪がって、小さく身震いして唇の端を歪めた。

「あいにくだが、僕らは二人共役に立たない男と呼ばれる種族なんでね。だから危険をかえりみずこんな宇宙の果てまで来れたのさ。君には性別というものは無いのか」

『私たちは一種類だよ。すべてが最初から然るべき知能を持ち、そしてそれを正しく発展させる。その必然的な結果として、個体が増える成り行きとなるのさ。これは私たちの知能が高いのは何故か、という問いの答えになるかもしれないね。元はと言えば地中の石炭を見つけたり、それを遠くにいる仲間に思考信号で知らせたりということのために知能があったのかもしれない。だが、それは個体を増やす行為と不可分なんだ。私たちは知性を持っているが、行動はほとんど単独でする。限られた水と食料の中で生きて行くためにね。そうなると、孤独や退屈に耐えなければならない。そのために、私たちは自問自答を繰り返すんだよ。自分に話しかけ、自分で答える』

「そんなことをしても面白くはないだろう」

 およそ自省というものを知らない黒木は納得いかな気だった。

『そうでもないよ。私たちの脳は二つの領域に分かれているからね。眠る時には片方の脳だけが眠り、もう片方の脳は活動しているんだ。そういう造りになっているから片方の脳からもう片方の脳へと話しかけることができるんだよ。見たところ、君たちはそうじゃなくて眠る時には完全に意識を失ってしまうらしいね。いったいどうすればそんな事ができるのか。私からすると不思議でしかたがない』

 そう言えば、このクープアムアは眠ったように動きを止めている時、常に片目を開いたままだった。あれは片方の脳を眠らせていたのか。そういう生態を持つ動物は他の星にもいたのを私は思い出した。例えば地球にいるイルカ類などはそうだったはずだ。

 ちょっと疑問を感じたので訊いてみた。

「そうすると片方の脳の領域が眠っている時には性格が変わったりするのかな。AとBの領域に分かれているものとして、Aが眠ってBだけが活動している時、Bが眠ってAだけが活動している時、AB共に活動している時では性格も変わるということになってしまいそうだが」

『自分ではよく分からない。でも、多分変わっているだろうね』

「今はどうなんだい。脳を眠らせたりはしていないんだろうな」

 黒木は脳を半分眠らせた相手と話をするのは気分が悪いと思っているようだった。

『もちろん眠ってはいないよ』クープアムアは諭すようにゆっくりと黒木の方に首を回した。『でも、仮りにどちらかの脳を眠らせていたとしても性格の違いは微々たるものだろうな。私はまだ生殖期を迎えてはいないのでね。二つの脳の領域の差は少ないはずだ。二つの領域の違いは、時を経るごとに大きくなっていく。しだいに二つの人格が形をもってきて、二つの意識の間の繋がりも薄まっていく。それが強まると、意識して二つの脳の領域の繋がりを切れば、お互いの考えていることが分からないという状態を作り出せるようになる。そこまで行けば退屈はしない。会話する楽しみも増すし、時間を持て余したら自分と自分の間で石炭と石を駒にした戦略ゲームでもやっていればいいんだから。私の種族は孤独に対処するために脳を二つの領域に割って、切り離しが可能な状態にまで成熟してゆくんだ。そうなったら仲間が増える準備完了だね。その頃には量が増えた脳が二つに別れ始め、それに引っ張られるようにして身体も二つに別れて行くのさ。空に輝く球体が十回地平を登って沈む頃には、私たちは二つに増えている。合理的な生殖方法だろう』

「つまり、君らは分裂生殖をするのか」

 私は唸る思いだった。知性のある動物が分裂するなら、まず脳から優先して二つにならなければならない。当たり前の運びではあるが、何だか異様だった。

 一方で、黒木はパチンと指を弾かんばかりに喜んでいた。

「それは好都合だな。近親交配の心配をする必要はないってわけか。君は一人でも全然問題なく仲間をどんどん増やしていけると考えていいんだな」

『水と食べ物と、それに孤独になりきれる環境があればだけどね』

「孤独が生殖の条件になるのか。人間とはまったく逆だ・・・・・・」

 黒木とは反対に、私は少々不気味な思いがしていた。

この動物には生殖にまつわる愛の概念があるのだろうか。と思ったのだ。二つに別れることが生殖ならば、二つの人格が争って早く別れたいと思うことが生殖の精神原理となるのではないだろうか。つまり、憎しみや嫌悪が生殖の根本を成す感情になるのかもしれない、という疑念が生じた。愛の代わりに嫌悪や争いがある。そんな生殖の在り方が想像されて少々怖かった。

 妻と別れた時の、ドロドロした争いが思い出された。かつては愛し合ったのが嘘のように、刺々しく傷つけあうばかりの修羅場が繰り広げられて心底厭になったものだ。一心同体だった二人が完全に別れるというのはそういうものだ。

このクープアムアの本性が、そういうものだったとしたら? それを想像し、私は背筋に氷を充てられるような気分になった。同時に、クープアムアがいた惑星に他の生物が一切いなかったという事実にも思い当たる。それには、不吉な示唆が含まれてはいないだろうか。

生物が絶滅する理由の一つに、突出して強力になった一種の生物が他を滅ぼすというものがある。かつての人類もそうやって地球上で多くの生物を滅ぼしてしまった。この宇宙には、それを遥かに大きなスケールで行う種がいないとは言い切れない。

 他者を慈しむ愛を知らず、憎しみ争う感情によってのみ仲間を増やしてゆく種族。その苛烈な本能が他の生物すべてに向けられて、他の生物すべてを滅ぼしてしまった。後に残ったのは化石と化した石炭だけだ。憎しみを生理とする動物は、それを細々と食べながら新たな獲物になる生物の訪れを待つ・・・・・・。そんな暗黒のストーリーが頭に浮かんでしまう。

 その恐ろしい存在を、私たちは人類の元へと連れ帰ろうとしているのではないのか。しかもこの動物は分裂して増える。理屈の上では短時間にとんでもない増え方をすることも可能だ。薄い一枚の紙は、理論上では十数回折っただけで天文学的な厚さに達するはずなのだ。

 馬鹿な。私は頭を振ってこの考えを振り払った。ただ一種の動物が、細菌やバクテリアまでをどうやったら滅ぼせるというのか。あり得ない。

「水と食べ物さえあれば、パートナーは必要ない。か。いっそのこと人間もそうだったら気が楽だろうな」気分が高揚した黒木は、皮肉屋の地金が出てきたようで軽口を叩いた。「クープアムア君。実を言うとね。僕らは二人共、君には必要無いパートナー選びに失敗しているんだ。いささか傷心気味なのさ。君には想像できないだろうね」

『想像できない』

「しかし、考えてみると君には恋愛の楽しみもないのか。君の人生の一番の楽しみはいったい何なんだろう。教えてくれないか」

『思慮すること。その結果自分の精神が二つに分かれて行くのを実感するのが愉しみだね。あとは食べる事かな』

「へえ、君の食べる石炭はどんな味がするんだい。僕は味にはうるさくてね」

 黒木は生物探索のチームを組んでいた時分、宇宙生物の食用化の分野を担当していた。そんな事もあって気になるのだろう。

『味? それはどういう感覚なのかな。口の中の感覚器でもって食べた物の成分を調べるのが快感なのかい。それは私たちには無い感覚だな。私たちは石炭を歯で押しつぶした時の、ゴリッという歯ごたえと粉砕音を感知することを快にするよ。その振動が体内の骨に伝わり、骨が震えて体の芯が熱くなるのは本当に気持ちがいいものさ。君たちとはずいぶん違うねえ』

 クープアムアも黒木に乗せられるように、対話をするのが愉快そうだった。喉の奥からの声が幾分高くなっている。

 この二人? は気が合うのか。

「ふうむ。そうか。そうするとこの先君に提供することになる別の星の石炭は君の好みに合うのかどうか。ちょっと想像しずらいな。一応石炭はいくつかの星の物を用意できると思うんだが」

『贅沢は言わない。種類がいくつかあるなら少し時間をかけて試してみれば大丈夫だと思うよ。私がいた穴では食べ物が少なくなってきていたので、他の場所へ移る時期を検討していたところだ。だから旅の準備のために栄養を満タンに蓄えていた。私がいた星で、百回くらい太陽が地平から出て沈むくらいの期間は食べなくても大丈夫だよ。選ぶ時間は充分だね』

 クープアムアが住んでいた星の自転時間は約三十六時間。それかける百ということは、地球時間では百五十日は大丈夫、ということになる。今回の探査はあと七十日くらいで帰還の予定なので、まったく問題が無い。しかし、いったいどうしてそんなに栄養を蓄えておけるのだろう。

 この、私と同じ疑問は、黒木も持ったようだった。

「僕らの発祥した地球という星には君と同じように背中の瘤に栄養を蓄えられる動物がいるんだが、君たちの能力はそれを遥かに上回るね。生命の神秘だ。どうやったらそんなに栄養を凝縮できるのかな」

『簡単だよ。食べた物の構造を、密度が高いものに変化させているだけだ。そのために瘤の中に蓄えた物は、物凄く硬くなっているね。今君たちと私の間を仕切っている、薄くて透明な物質と、似た感じになっている。興味があるなら見せてあげようか』

 クープアムアはそう意味を発すると、身体を小刻みに震わせ始めた。人が寒いところで小便をした時のような身震いが終わると、背中にある三つある瘤を覆った皮膚の一つが天辺からペロンと捲れ始めた。一番頭に近い大きな瘤である。まるで果物の皮を頂点から四つに割って果肉を見せたかのようだった。皮は焼かれた軟体生物の皮のように根本にくるくると丸まってしまう。

 黒木の目が驚愕に大きく見開かれた。信じられない物を見た。あり得ない奇跡を見た、と開きっぱなしになった瞳孔が言っている。

 それは私も同じだった。ポカンと口を開け、顎が外れそうだった。

 瘤の下から現れたそれは特徴的な結晶体でキラキラと反射光を放っていた。何故そんな形になっているのかは分からないが、職人が精密なカットを施したしたようにシャープな多面体を形作っている。表面は、磨き抜かれたようにツルツルだ。あまりに眩く、目が痛くなるような錯覚に捉われる。

 それだけの価値のある物がそこにはあった。何千カラット、などというものではないだろう。何万カラットか何十万カラットか見当もつかない。人類がこれまでに発見した中で、最大の原石にあたる物がそこにはあった。しかもそれには赤ワインのように鮮やかな紅い色がついていた。今だにほとんど発見されず、数百年前からもっとも希少価値が高いと言われる宝石界の至高の女王・・・・・・。

「ビンゴッ! これはダイヤモンドなんじゃないか」

 黒木が興奮し、躍り上がって叫んだ。

 私はあまりのことに、脂汗が噴き出す思いだった。石炭とダイヤモンドは両方とも炭素でできている。両者の違いはその分子構造。密度に過ぎない。石炭を限界まで密度を濃くしたら、ダイヤモンドにたどり着くのは自然の理だ。いかなる方法でかは分からないが、この奇妙な動物クープアムアは、生きて行くためにその奇跡を実現した。

 クープアムアは私たちの歓喜が理解できないようすでいた。

『ビンゴ? また分からないことが増えてしまったね。それはいったいどういう意味なんだい』

「意味はないよ。喜んでいるだけだ」私は押し殺した声で、クープアムアに尋ねた。声が震えた。「その背中の瘤の中にある物は、取り外せるのか」

『簡単だよ』

「食べ物が豊富にある状況になったら、その背中の物を私たちに分けてもらうことは可能だろうか」

『食べ物があれば、蓄えた物は必要ないね。あげるよ。背中の物は硬すぎるので口では食べない。少しづつ溶かして栄養に還元するんだよ。石炭みたいに新鮮な歯ごたえや粉砕音は楽しめないから心地よいものではないんだ』

 気がつくと、黒木は全速力で壁にある操作盤にとりついて、動物飼育スペース内にある調査センサーを動かしていた。動物の体組織を精査するためのものだが、調節すれば簡単な鉱物の判定くらいはできる。センサーの向きを変え、測定ビームの先をクープアムアの背中にある煌めきに充てた。

 数秒後、操作盤に出た表示を見た黒木はニヤリと頬を歪め、これ以上ない悪魔笑いを私へ向けてきた。

「正真正銘本物のダイヤモンドですよ。原さん。どうします?」

 黒木は私の答えなど待ってはいなかった。すぐに奇声を発してその場で飛び跳ねた。

「ヒャッホーッ。これで僕らは大金持ちだ。百万倍の大当たりを引いたぞ」

私は身体から力が抜けていた。部屋の隅にある長椅子によろけるように腰を落とした。

『いったい、どうしたんだい?』

クープアムアはそんな私たちのようすを、両目を別々に動かして不思議そうに眺めていた。奇妙な動物を観察する目だった。

私はやっとの思いで声を絞り出した。

「何でもない。そのうちにおいおい教えてあげるよ。お金という物を。きっと君は、びっくりすることがまだまだ沢山あるだろうね・・・・・・」

『そうかい。それは良かった。せっかく別の世界へ行くのなら、いろいろな物を目にして知った方がいいからね』

クープアムアは揺ら揺らと首を左右に揺らした。

それは知的好奇心が刺激された時にする仕草だと、私にもだんだんと分かり始めた。